【5月の法話】 外なる世界と内なる世界  5月27日

常真寺 住職 【緑蔭禅の集い 主幹】
  皆川 廣義


私たち人間は、生物であり、そして動物であります。お釈迦さまの教えによりますと、生物は、生命を乗せる乗物であります。私たちは親よりいただいた生命を自分の身体に乗せて、次の新しい生物の乗物である子どもへと伝承させています。

生物には、私たちのような動物と草や木のような植物があります。動物は、自ら移動できますが、植物はできません。

私たち人間は、生物のなかで唯一心をもった動物であります。人間は、心をもった動物として、他の生物にできない豊かな文化をつくりだしました。そして、自ら万物のなかでもっともすぐれたもの(万物の霊長)と思っています。

しかし、生命の乗物としては、すべての生物が三十数億年生きてきたすぐれた乗物として同じ能力をもった存在であると思います。このことを仏教では四攝法の教えのなかで、同事として教えています。生命の乗物としてすべての生物、動物、人間が同事となるものであるというのが、お釈迦さまの菩提樹下の悟りなのです。また、今日の科学がそうであることを証明しています。

心をもった動物である人間は、自分の外の世界と自分の心のなかの世界をもつことができます。私たちはこの外なる世界と内なる世界を正しく認識できるようにしなければなりません。現代の日本人は、自分の外なる世界と内なる世界を明確に自覚できなくなってきているように思います。

人間以外の生物は、外と内が一体であります。それは心がないからであります。人間の外なる世界と内なる世界は、心があってもてるのです。心が中心となって、外なる世界と内なる世界をもつことができるのです。

人間が生物として心を中心とした存在であるのはその根底に生命があるからであります。したがって、人間にとって大切なものは心と生命であります。

お釈迦さまの教えにより、この地球上に生命が誕生してより自分まで、自分より子孫へ永遠に生きんとしている過去、現在、未来へと歩んでいる三世の生命を学びとり、地球上に生存したすべての生物をつくりだしている十方の生命を学びとり、人生の目的を悟り、死苦を解脱して安心を得ていきたいと思います。

私たち仏教徒は、外なる世界に生きていた身近な人の死に逢い、対話を喪失し、別離の悲しみに打ちひしがれます。この悲しみを通して、お釈迦さまの教えにもとづき、自分の生命と心のなかに、亡くなった方を仏として再生し、生涯供養することによって生きていただき、生前と同じように祈りを通した対話のなかに、悲しみをのり越え、悟りと安心をつくりだすのです。

この自分のなかに再生していただいた仏が内なる仏であり、それを先祖仏として、菩提寺や仏壇の位牌にまつったものものが外なる仏となります。私たち仏教徒は、この内なる仏と外なる仏との祈りを通しての対話により、悲しみをのり越え、幸せをさずかることができるのです。
(駒澤大学名誉教授)

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【4月の法話】 花 ま つ り  4月30日

常真寺 住職 【緑蔭禅の集い 主幹】
  皆川 廣義


花まつりは、仏教を開かれましたお釈迦さまの誕生を祝うおまつりです。

お釈迦さまは、約2500年前の4月8日にインドのルンビニーで、釈迦国王スッドーダナを父とし、母マーヤのもとに生まれました。

私は、40年前、最初のインド仏蹟巡礼でルンビニーにおまいりしました。オンボロバスで大変難儀してルンビニーにやっとの思いで到着し、そこでお釈迦さまの末裔だというネパール人の仏蹟巡礼の人々と逢いました。

そのネパール人達は、私たち日本人と同じような顔かたちをした、昔の久我の方々と同じような人々で、私たちと同じモンゴロイドでした。

彼等は、「自分たちはお釈迦さまの子孫で、仏教徒であり、カトマンズ盆地のパタンというところで農業をしており、米をつくって生計をたてている」と語っていました。

私は、このネパール人の仏蹟巡礼の人々に逢い、深い因縁を感じさせていただきました。

たぶん、今から数千年前に、モンゴル高原より南下して、中国の長江流域で、米をつくることを発見したモンゴロイドの人々が、東に移動して私たち日本人の先祖となり、西に移動した人々が釈迦国の人々だったのだと思いました。このことは、最近の仏教研究者によっても証明されています。

つまり、数千年さかのぼると、お釈迦さまと私たちの先祖は、同じモンゴロイドであったということです。私たちの生命のなかに、お釈迦さまと同じ生命が流れ生きているということです。

このことを私は、ルンビニーでネパールの仏蹟巡礼の人々と逢ったときに、しみじみと感じさせていただきました。

私たち日本の仏教徒は、同じ生命を共有したお釈迦さまの教えにより、幸いにも子孫繁栄して現在にいたっているのです。

お釈迦さまと私たちは、人種的には、モンゴロイドとして米作文化を共有し、同じ仏教という宗教を共有した深い因縁をもっているのです。

このような深い因縁をもったお釈迦さまが生まれた日が、4月8日でそれを祝うおまつりが花まつりです。寺では、4月5日より花御堂をつくり、4月25日まで皆さんにおまいりしていただいています。また、日曜礼拝と一泊参禅会でも、釈尊御誕生会法要を厳修しています。

ただ、昔のように花御堂へのおまいりの方が多くないのは残念です。来年はもっと多くの檀信徒の方におまいりいただき、釈尊誕生仏に甘茶をかけていただければと思います。寺でも、キリスト教のイエスの誕生日であるクリスマスのように、にぎやかなおまつりにしたいと努力していきます。

特に、子どもをさずかった方々は、その子の身心の健康成長を、お釈迦さまに祈念していただければと思います。

寺では、今年のインド仏蹟巡礼の折に、金剛製の釈迦誕生仏をルンビニーで求めて、開眼供養したものを花御堂にかざっています。
(駒澤大学名誉教授)




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【3月の法話】 彼岸について  3月23日

常真寺 住職 【緑蔭禅の集い 主幹】  
皆川 廣義


三月には、春の彼岸があり、このたびは、彼岸についてのお話をいたします。

お釈迦さまは、私たちの生きている世界を、此岸(しがん)と彼岸(ひがん)の二つに分けて説いています。

此岸の世界は、ささやかな楽しみもありますが、さまざまな苦しみに打ちひしがれて生きている状態のことです。今どんなに物質的にも、精神的にも幸せでも、まもなく老いの苦しみ、病の苦痛、そして最後は死の恐怖に打ちのめされて死んでいく私たちの運命を此岸というのです。

お釈迦さまも、平和でめぐまれた環境のなかで幸せな生活をされていたのですが、身近にいる老人や病人や死に行く人々の苦しみをみていて、この此岸に老病死の苦しみがあることを悟られ、この苦しみを解脱して、安心を得なければならないと国王への道を捨てて宗教者(僧)となられたのです。

幸いにもお釈迦さまは、沙門として六年のきびしい修行の後に、ブッダガヤの大きな菩提樹下の悟りによって、老病死の苦しみを解脱して、人生の目的と安心を得る道を自覚せられたのです。

このお釈迦さまが悟られた安心と生きがいの世界を、彼岸というのです。彼岸は、仏国土とか浄土と呼んでいます。

私たち仏教徒は、生きるために、この此岸の世界と彼岸の世界の二つが必要なのです。

此岸は、人間として生きるためにどうしてもなくてはならないものです。しかし、此岸の世界だけでは、人生の目的を悟り、生死の苦悩を解脱して安心を得ることはできないので、仏教の彼岸の世界が必要となるのであります。

この此岸の凡夫としての世界に、彼岸の世界(安心と生きがいのある人生)をつくるために、お釈迦さまは、@三帰依、A六度の教えを示されています。

@三帰依とは、まず、仏教を学び、信仰し、実践する道場(寺・サンガ)に入り、お釈迦さまと、その教えと、お釈迦さまと教えを信仰する人々の集まりサンガの三つに帰依し、信仰することです。仏教で信仰するということは、自分の生命と心の中にお釈迦さまを再生させて、共に生き、信仰するのです。お釈迦さまが自分の生命と心の中に共に生きていれば、いつでも祈りを通して相談し、教えを聞くことができるようになり、悟りと安心をいただくことができるのです。

A六度とは、六つの悟りと安心を得るための行(実践)のことです。まず、悟り(智慧)を得るための行は、正しい生活をし(持戒)、お釈迦さまの教えを聞き(聞法精進)、学んだ教えを正しく理解し(禅定省察)、正しく自分の智慧としたものをサンガのメンバーに語ってみんなに理解していただき普遍的な智慧とする(菩提智慧)という四つの行です。

次に、安心の行は、菩提の原因である我執(煩悩)を捨てる忍辱と布施の二つの行です。忍辱は、一人で実践する行で、たえることで我執を捨て、布施は自分の大切なものを他者にもらっていただいて、共に我執を捨てて安心をつくりだす行です。

このサンガのなかにおける三帰依と六度の実践により、私たちの彼岸(安心)の世界が生まれるのです。
(駒澤大学名誉教授)






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