『世界平和研究』通巻 196号 2013冬季号 2013.02.01発行 『世界平和研究』は、世界平和教授アカデミーが発行する季刊誌 http://www.pwpa-j.net |
【論説】 現代社会における仏教信仰の意義 Merits of Buddhism in This Age 駒澤大学名誉教授 皆川廣義 Hiroyoshi Minagawa <前半> |
【梗概】現代日本における仏教の存在感は、非常に小さくなっているが,それはその信仰の本質についての理解が乏しいことに起因すると思われる。2011年に亡くなったアップル社創始者のスティーブ・ジョブズの仏教者としての生き方は,世界宗教としての仏教信仰の証であった。現代社会を見ると,人間の自我の暴走ともいえる現象が多い。それを鎮めていくにはお釈迦様が説かれた内容をもう一度,信仰の次元で再認識することである。即ち,お釈迦様を信仰するサンガの力を借りながら,菩提行と涅槃行を行じ,自己の三世十方の生命なることを悟り,安心をつくり出す必要がある。 1.釈尊の生涯と悟り (1)最初の悟り 仏教はお釈迦様によって始められた宗教であるので,お釈迦様の悟りの内容を中心にその生涯をまず振り返るところからはじめたい。 お釈迦様は今から約2500年前のインドに生まれた。当時のインドは小国分立時代で,統一に向う過渡期であった。戦争もなく比較的平和で豊かな時代であり,お釈迦様自身は強健な身体と深い智慧をもっていた。階級社会インドにあって釈迦国皇太子であったお釈迦様の家はモラルが高く,奴隷や寄食者たちに対しても同じ食事を提供するなど, 人間存在を平等に見る環境があった。ただお釈迦様が誕生して1週間後に母マーヤが亡くなったために叔母に育て られた。十代後半には母親の国(隣国コーリヤ)から妻を迎え,男児も生まれて物心両面に恵まれた幸せな生活を営 んでいた。 二十代後半になってお釈迦様は,第一の悟りともいうべき内的変化を経験した。それは,身近にいた老人や病気に 苦しむ人,死の恐怖におののきながら亡くなっていく人の苦しみを見ながら,人々の苦しみに対する自分の認識の誤 りを悟ったのである。もちろん苦しむ人に対する思いやりの心は持っていたのだが,単なる三人称的な視点でしか見 ていなかった。せいぜい親族に対する二人称的な共感を持っていた程度であった。ところが,このときに人々の苦しみ を自分自身の苦しみ(一人称的理解)として受け取った。つまり,彼らの死や苦しみはやがて自分にも訪れてくるであろ う老病死苦の兆であると受け止めたのであった。 別の言葉でいえば,彼らの苦しみを最初の「如来」として受け取ったのである。「如来」とは,真実(真如)が自分に訪 れてきて(如来)自分に知らせることを意味する言葉だが,自分にもそのような一大事があるという悟りを得たのであ る。この悟りを通して,お釈迦様は,自分が見えなかった未来に光が与えられた。 (2)第二の悟り 第一の悟りを境に,お釈迦様は自分自身の生死,とくに死に関する深い省察を始めた。自分は何のために生まれ, 生き,そして病に苦しみ,老いて,最期に死して無化されていくのはのはなぜか。また一生懸命生きようとしている自 分が,一方で自ら老いをつくり,病をつくり,自分自身を壊して死を作り出しているという現実に気がついた。さらにその ような人生の意味は何なのかと問いかけた。死がもたらす無慈悲や苦悩を乗り越えて安心を得ることができるのか, などの課題を抱えて修行を始めたのである。 当時のすぐれた宗教者,バラモンに教えを求めて訊ねて行ったが,結局はそこから満足する回答を得ることができ なかった。そのころシュラマナ(沙門)という宗教者が生まれつつあった。彼らは樹下石上に座して,三つの着物と一つ の鉢しか持たず, 様はその中に自分と同じ課題をテーマとして求道している人がいることを知り沙門に入った。 そこでお釈迦様は,皇太子の地位を捨てて夜中に妻子を置いてヒマラヤ山麓の王宮を出て,南東方面に1000キロ ほどのところにあったマガダ国の山の都に行った。当時,マガダ国王ビンビサーラは国を豊かにするためにインド中の から優れた文化人を集め,自由な雰囲気の中で創造的なことができるよう奨励していた。そのため優れた宗教者たち がたくさんマガダ国に集まってきており,宗教の学び,実践が広く行なわれていた。 お釈迦様の最初の求道は,坐禅を通した思索であった。最初はアーラーラ・カーラーマという禅定者に師事し,「無 所有処」という悟りを得たといわれる。しかしそれでは問題の解決は得られず,次に当時のインドで最も優れたとされ ていたウッダカ・ラーマプッタという禅定者につき,「非想非非想処」という悟りを得たが,お釈迦様が抱えていた内的 課題は未解決のままであった。 ただこの二人の師を通じての修行の中で,迷いと苦悩の原因が「無明」(明晰性の欠落)と「煩悩」(自己中心的 心)にあることが明らかになった。そこで無明を解決するために坐禅を続け,煩悩を断つために断食の苦行を行なうこと になる。 お釈迦様は,マガダ国から西南方面に700キロほど行ったところのウルヴェーラ(現ブッダガヤ近郊)の苦行道場に 行き修行を始めた。沙門という生活に加えて,断食,止息という壮絶で極端な苦行も行じた。ガンダーラ仏の「釈迦苦 行像」がそれを写実的に表しているように,これ以上苦行を徹底すると死んでしまうような,ぎりぎりの苦行であった。 しかし,こうした苦行によっても解脱と安心(あんじん)は得られなかった。 お釈迦様が苦行をあきらめかけるような限界状況にあったときに,農夫の作業歌が聞こえてきた。その歌詞は「琴の 名人は,弦を強く張って切ってしまうような愚かなことはせず,また緩く張って濁ったような音を出すこともしない。ほど ほどに張って妙なる音を出す」という内容であった。その歌を聞く中で,苦楽を離れた「中道」をお釈迦様は悟られた。 つまり,生きている間には煩悩は滅尽できないということ,煩悩はあり過ぎると迷いや苦悩を生み,全部なくしては人 間は生きてゆけないということ,両極端を離れた中道にこそ自分の解脱への道があることに気づいた。 (3)三世十方(さんぜじっぽう)の生命の自覚 その後,お釈迦様は苦行道場を出て,ネーランジャラー河で沐浴し,スジャータ村で乳粥の供養を受けて静養する 中で,次第に心身を回復していった。その過程でお釈迦様は,断食中の朦朧とした状態から次第に満ち溢れていくよ うな生命力を実感され,「全てを作っているのは生命なんだ」「真実の自分は生命なる存在なのだ」ということを悟られ たのである。それまでのお釈迦様は,自我のレベルで人生の目的や死の恐怖からの解脱を得ようと苦悩していたが, その自我の下に生命なるものがあることを,体中に生命力が満ち溢れるような状態の中で悟ったのである。その生命 は,生命が誕生してから自分に至るまで途絶えることなく生き続けてきた不死なるものであるとともに,自分から子孫 に再生して永遠に再生し続けてゆこうとしている。これが「三世(前世,現世,来世)の生命」なのである。 これを空間的に見ると,自分をつくっている生命は,全人類をつくり,全生物をもつくっている。これを仏教ではすべて を「十方(じっぽう)というが,「十方の生命」であるとお釈迦様は悟られた。 こういった「三世十方の生命」に圧倒されるような思いで,お釈迦様はネーランジャラー河の西に沈む太陽を見なが ら,その菩提樹下で成道の儀式をされた。菩提樹下の坐禅は,12月1日の朝にはじめ,8日の明けの明星を見る中で 成道されたのである。 その悟りは次のようなものであったと考えられる。「人間は生物であり,生物は生命の乗り物で ある。」「生命が自分の當体である。」という悟りを得,この三世十方の生命の実相のなかに,出家のときの課題,即 ち,何のために生まれ,生き,死ぬのか,人生の目的を発見し,また死の苦しみからの解脱を発見されたのである。お 釈迦様は,三世十方の生命を自分の真実体,真如として学び取り,すべての生物が「生命同根」(同事)であることを 最初に自覚したのである。仏教の平等観や慈悲はこの同事という真如から生まれている。 生命の流れを見ると,人間は自分自身のために生まれたと思っていたが,そうではなく「永遠の生命を伝承する乗り 物」である。乗り物(生物)は物質ではあるから永遠ではなく、必ずこわれる。生き物は非連続なものであるが,非連続 を連続させるためには新しい乗り物に乗り換えていかなければならない。つまり親から子へと生命を伝承しながら永 遠性をつないでいるのである。 「三世十方の生命」が見えてくると,われわれは自分のため生命があるのではなく,永遠を目指す生命のために生 まれ,その生命を伝承し,それが終わると自ら老いて死するということが理解できる。われわれは文自身の人生と生命 を永遠に伝えるという大いなる営みを行なっていることを悟ることができる。 ところで物質的なものは,生きる空間を必要とするから,それが永遠に生き続けた場合には,地球上は生物で溢れ てしまう。もし人間や生物が死ななかったらどうなるか。地球上に溢れて生きていくことができなくなる。現代科学の知 見によれば,現在の世界人口70億人が死なずに,今後も人口が増えるとわずか7年半で(南極大陸を含めた)地球上 の陸地は人間でいっぱいになってしまうという。それに類似することをお釈迦様は,今から二千年以上前に気づいてお られた。 三世十方の生命についてお釈迦様は,ゆずり葉に譬えて「ゆずり葉のような三世代がそろった家庭をもうけなさい」 と説法した。人間は成長して結婚して子が生まれ,さらに孫・ひ孫へと再生され生命を伝承していく。祖父母はひ孫の 代になるころに亡くなっていく。ゆずり葉は春先に若葉が出たあと,祖父母の葉がそれに譲るようにして落ちていく。そ れが,親が子に生命を伝え再生していくことを象徴しているように見える。 ところで,東京の駒沢大学近くにこのゆずり葉が植えられて数年後のこと,春に新芽が出たときには,すでに祖父母 の葉は落葉樹のように落ちてしまってなくなっていた。これは公害のために植物のサイクルが狂ったようだった。この ことは,現代の三世代家庭が崩壊してしまったことを象徴しているかのようである。 仏教の人間観,人生観からすると,「死」は人間が生まれてきた営みの中で最も崇高な営みであるということもできる。 いただいた生命を次の世代から孫の世代まで伝えると,大体人間は亡くなっていく。その中で自分の人生のすべてを 投げ出した姿を,仏教としては「死」ととらえる。仏教で死者=仏というのは,背景から来ている。 人が死んで火葬を済ませた後,われわれ(曹洞宗)は「お血脈(けちみゃく)」というものを骨壷に一緒に入れてお墓に 収める。お血脈には,上の部分にお釈迦様が描かれ,当代の僧侶のところまでの系図が描かれている。私の場合は,お 釈迦様から菩提達磨,道元禅師を経て,私が93代目として描かれている。師匠から法を受け取って僧侶になったときに, その系図に自分を書き加え,お釈迦様から自分まで赤い線で結ばれている。私の横に亡くなった方の名前を書き,私と 赤い線で結ぶ。亡くなった方より赤い線は,左はしを上にのび頂点で右にのび,上方の真ん中にあるお釈迦様の上に〇 座がもうけられ,そこに結ばれる。その〇座の中に亡き人の仏様の名前(法名)が記される。赤線は,この仏様より下の お釈迦様に結ばれて,94名の仏が一如となり,亡くなった方が仏として再生して,お釈迦様と同じ仏になったことを証明し ている。このようなお血脈が葬儀を通して亡き人に授けられると,仏様として再生し,以後仏様として信仰するのである。 この図を見れば,私とお釈迦様の生命と仏法が連綿としてつながっていることは一目瞭然である。普通は,お釈迦様だ けが完全な仏で,それ以外の人間は凡夫だと考えるが,明らかにすべての仏教徒の死は,死とともに全煩悩を捨て去る ので,完全なる涅槃であり,成仏しているのでお血脈として示されている。 2.僧伽(サンガ)の役割 お釈迦様は,煩悩を持つわれわれ凡夫は,人間の課題を一人では解決できないことを悟られていたので,初期の伝道 からサンガ(仏教信者のグループ)をつくることに専念した。サンガの中で仏教者は,お釈迦様の教えを学び,そこで仏 行を実践することによって,安心が得られるのである。ゆえに仏教は,生涯,サンガの中に入って信仰の実践をしていくこ とが必要である。 仏教のサンガには「寺サンガ」と「家サンガ」があり,前者は僧が中心となり信者たちによってつくられ,後者は寺サンガ のメンバーの戸主を中心に家族によってつくられる。すべての仏教者は,自分の寺サンガ(例えば,朝夕の勤行,礼拝法 要,法話,仏蹟巡礼など)と家サンガ(例えば,寺墓参り,葬儀法事など)に参加し,これに帰依して信仰することにより,迷い と苦悩を乗り越えて悟りと安心を得ることを目指す。 ここで私自身の体験を紹介したい。実は,数年前に母親を93歳で亡くしたが,そのときサンガの価値を再認識する経験 をした。母親は比較的元気に過ごしていたが,80代後半になるころ周囲の同級生などが次第に他界していき,残る人が 少なくなっていった。あるとき近所の葬式に参席して帰ってきた母親を見るととてもとても小さく見えた,その母親が玄関 に入るや「死ぬのは嫌だな」とつぶやくのが耳に入ってきた。母親に対しては永年仏教の説話などをしながら安心を得 られるように努力してきたし,本人自身も毎朝鐘をつきおつとめ(勤行)を欠かさないほどに信仰深かった。また私の娘 の顔が母親にそっくりでもあったので,その写真を見せながら「生命が子孫に伝承されて連綿と生き続けている」ことを 何度も話して本人も理解していた。ところが,その母親からそのような言葉が出たことに愕然としたのであった。 どのような信心(信仰)を持っていても,友人が亡くなったり,自分が病気になったりするとやはり滅入るようであった。 このことを通して,お釈迦様が「サンガがないと安らかな死の受容ができない」言っていたと学んだのであった。学びや 信仰だけではなく,外側からのサポートがないと人間は人生の最期を越えていくことができない。老いや病気になると 信心までもが壊されることもありえる。サンガが物質的に,精神的に支えることによって,安らかな死の受容が可能にな る。お釈迦様はこのようなことからサンガの価値を説いていたことを学んだ。 その後,母親は最期を迎える1週間前に病院に入院したが,他界する直前に,母親から命を授かった子ども,孫たちを全 部集めて,私が母親の手を握り全員が手をつなぎながら,「おばあちゃん!おばあちゃんの命はここに生きているから ね!」と声をかける中で,安らかに息を引き取って行った。 3.釈尊の伝道活動 (1)弟子育成による伝道 悟りを得た後,お釈迦様は80歳で亡くなるまで,最外端の生活である沙門の生活をしながら,一銭の報酬も求めずに伝 道生活を続けた。悟りを得るまでは自分のために修行をしたわけだが,その後は利他行に徹した。お釈迦様は,自分が 抱えていた課題生命同根(同事)である全人類の課題でもある,ゆえに全人類に悟りのメッセージを伝えなければいけ ないと考え,そのための周到な伝道法を熟慮した。 成道後のお釈迦様は,自分の教え(悟り)を理解する人に説法したいと考えた。自分の悟り(メッセージ)は全人類に 伝えなければならないが,自分ひとりでは限界があるから,まずは説法をいっしょにやる人(弟子)つくることに専念した。 それゆえ大器(人材・資質)を選び,一種のエリートを探して伝道した。結果的には,数年の伝道によって,当時の若い優 れた宗教者のグループやエリート青年を教化して伝道者のグループをつくった。また知り合いの国王とのつながりもう まく使って縦社会を利用した伝道も展開した。仏教を理解した王は,国民に聞法することをすすめ,仏教は広まっていっ た。 キリスト教のイエスの場合と比較するとその違いが見えてくる。イエスは,神のメッセージ(福音)を必要とする人を訪 ねていって直接説法をした。しかしそのような人たちはグローバルに福音を受け取ることができずに,かえってユダヤ 教の指導者層の誤解を招き十字架にかけられてしまった。 あるとき,お釈迦様に死神が現れて,「伝道が成功して仏教が広まったので,もう止めて,死んでもいいではないですか」 と言ってきた。それに対してお釈迦様は,「私の教えはすべての人々に学んでいただかねばならないものです。インド の人々には弟子たちを通してできるようになった。しかし私の死後,教えをいつどこでも聞くことができるためには,まだ 伝道を続けなければならない」と答えたという。 お釈迦様はすべての人にメッセージを伝えるために,同時代のことだけではなく,死んだ後のことまでも考えていたの である。この精神が仏教思想・哲学の中に残っており,それがもとになって仏教は世界宗教となったのである。お釈迦 様の45年間の利他行としての伝道は,インドの人々だけではなく,同時代の全世界の人々,さらには死後の人類にまで メッセージを伝えて行きたいという思いを持った営みであった。 <後半に続く> |