Ryokuyin Zen Sangha

法話&Photo Gallery 【喫茶去】
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令和2年の法話
【1月の法話】「自分はなんのために生まれたのか」
【2月の法話】「生命の歩みと人間の歩み」
【3月の法話】「悟りと安心の道」
【4月の法話】「仏教の祈りと信仰」
1月の法話】  「自分はなんのために生まれたのか」       11日号
         

                  
常真寺 住職 【緑蔭禅の集い 主幹】  皆川 廣義
  

 新年頭にあたり、お釈迦さまの教えに、「自分はなんのために生まれ、生き、そして死にたくないのに死んでいくのか。」という、私たちの生まれてきた「人生の目的」を、学んでいきたいと思います。

 お釈迦さまは、二十九歳のとき、国王への道を捨てて、沙門というきびしい生活をする修行者になり、自分の死がもたらす迷いを乗り越えて、自分の人生の目的を明らめようとされました。

 お釈迦さまは、六年の求道の後に、ブッダガヤの菩提樹下の坐禅中に大いなる悟りを得て、自分は心を持った生物であり、生物は生命の乗物であり、真実の自分は「三世十方の生命」であると悟り、この自分の三世十方の生命としてのありようのなかに、求めていた人生の目的を明らめられました。

 自分の生命体は、三阿僧祇劫(さんあそうぎこう)(三十数億年)前に生まれ、自分まで生き続けて、また、子孫へ久遠に実成して生きんとしています。生命は生まれたとき、この生命を久遠に相続してゆきたいという願いと能力を持ちました。つまり、生命は、一つの細胞体として生まれ、元気なうちに二つに別れて再生し続けることにより、久遠に生き続ける願いと能力をもったのです。全生物は、過去より現在へ、そして現在より未来へ生きんとする三世の生命であるのです。

 お釈迦さまは、すべての人間も生物も、本当は、自分のために生まれたのではなく、生命を久遠実成せんがために生まれ、生き、死していっているのだと悟られました。

 心をもった人間以外の生物は、ひたすらこの生命の法則通りに生まれ、生き、死して、生命の久遠実成のために生きています。そして、本当は、私達人間もこの生命の法則通りに生きているのです。

 お釈迦さまは、このことを人間が自覚できないで、自分のために生まれ、生きているとだけ思っているのは、人間の心のなかに無明と煩悩というにごりと欲望があるからだと、説き示されています。

 人間は、心のなかにこの無明と煩悩があるから、抓(つね)ると痛いという身体(色)と、ほめられれば嬉しい、けなされれば悲しいという心(受想行識)を自分だと思っていますが、真実は、『般若心経』にあるように五蘊(色受想行識)皆空で、本当は、縁起縁滅している生命であるのです。

 お釈迦さまの教えは、人間をふくめたすべての生物は、三世十方の生命体で、生命を久遠に伝承しているものであり、そのなかで、人間だけが心をさずかり、この生命の法則のなかで、自分の世界を持つことを許されているだけなのです。

 本当は、全生物は、いただいた生命を久遠に子孫に相続するために生命の乗物として生まれ、生き、生まれてきた目的を達成して、死んで生きる場を子孫に譲っているのです。

 生命の乗物としての生物は、物でもありますから、いつかは壊れるので久遠の乗物にはなれません。生命は、乗物を乗り換えて再生し、久遠に生きています。また、生物は、物であるから生きるための空間が必要です。現生人類の数十億人が死なないと、七年位で地球の陸地は人間でいっぱいになり人間には、食べ物を作る農地も牧場もなくなり、絶滅せざるを得ません。地球という限られた空間に生きる生物は、みずから死することにより生きる場所を子孫に譲って、生命を久遠に相続しているのです。生物としての私たち人間も同じです。

【2月の法話】  「生命の歩みと人間の歩み」       2月1日号
         

                  
常真寺 住職 【緑蔭禅の集い 主幹】  皆川 廣義

 お釈迦さまは、二十代後半になり、身近な人の老病死の苦しみを見て、自分の死の一大事を悟り、死のもたらす迷いと苦悩に打ちひしがれました。この死の迷いと苦悩のなかで自分の人生の目的と生死の苦悩からの解脱の道を求めて、国王への道を捨て、沙門という修行者になりました。六年の求道の後に、ブッダガヤの菩提樹下の坐禅中に、大いなる悟りを得て、この二つの課題を解決する道を発見せられました。

 お釈迦さまの悟りは、自分は心をもった生物である、生物は生命の乗物であってまことの自分は「三世十方の生命」であるとの自覚でした。また、自分だけでなく、全生物も三世十方の生命であると悟られました。そして、この三世十方の生命の実相のなかに、課題であった人生の目的と生死の苦悩の解脱道を発見せられたのです。

 自分を含め全生物は、この地球に単細胞の生物として生まれたとき、生命の断絶を乗り越えて久遠に生きたいという願いと能力を持ちました。生物は、生命の乗物としての物体ですからいつかは壊れ、久遠の乗物にはなれません。生命は、この生命断絶の危機を単細胞生物として生まれ、若く元気なときに、二つに分かれて新しい生命の乗物になることを繰り返して、久遠に生きる能力を持ちました。生命は、生物を二つに分けて新しい生物に乗り換え、途中、多細胞生物にも進化し、今生きている全生物まで四十億年も生き続けているのです。この三世十方の生命は、誕生した過去より現在、現在より未来へ、久遠に過去現在未来の三世に生きる生命であり、また、この地球上に生まれた全生物をつくりだし、全生物は生命同根なる十方の生命でもあるのです。

 このように生命は、生物という生命の乗物を乗りかえながら、久遠に生命を相続させる歩みをしています。私たち人類は、数十億人いますが、もし、死なないと七年半で地球上の陸地が人間だけでいっぱいになり、食物が得られなくなり、人間は絶滅する危機をもっています。また、人間は、心にある無明と煩悩により久遠に生きたいと虚妄分別していますが、人間のDNAは、人間を生命の法則通りに生み、生かし、死し、生きる場を子孫に譲っています。

 人間をふくめた全生物は、生命の法則通りに生まれ、生き、死して子孫に生きる場をゆずり、それによって自分も子孫の生命のなかに再生して生きる道をもっているのです。

 お釈迦さまは、菩提樹下の大いなる悟りにより、このような自分の生命なる存在を自覚し、この三世十方の生命の法則のなかに、人生の目的と生死の苦悩からの解脱道を発見せられました。仏教は、生命のことばの教え、生命(いのち)の宗教なのです。

 仏教者は、このようなお釈迦さまの教えにより、亡くなると成仏の儀式としての葬儀をして仏となり、子孫の生命と信心のなかに久遠実成仏として生き続け、子孫の信仰と祈りのなかで仏として子孫との対話をつくりだし、説法し続け、子孫の家門繁栄と安寧を成就しているのです。そしてまた、私たちも子孫が生命と仏法の伝承をすることにより、子孫の生命と信心のなかに久遠実成の仏として生きてゆくことができるのです。

 生命の歩みは、久遠を目指した連続の歩みです。人間の歩みは、生まれ、生き、最後に老病死して終わる非連続の歩みです。しかし、私たち仏教者は、お釈迦さまの教えにより、自分の生命の歩みのなかに、生命の久遠実成の歩みを学び、そしてみずから久遠実成の仏となるのです。

【3月の法話】  「悟りと安心の道」       3月1日号
         

                  常真寺 住職 【緑蔭禅の集い 主幹】  皆川 廣義

 お釈迦さまは、平和な時代、幸せな生活をしておられましたが、二十代後半になり、隣人の老病死苦を見て自分の死を悟り、死の迷いと苦悩に打ちひしがれました。そして、自分はなんのために生まれ、生き、死していくのか。自分の生まれてきた目的はなんなのかという迷いと、生死の苦悩からの解脱の道を求めて、樹下石上、三衣一鉢のきびしい行乞生活をする沙門という修行者になられました。

 お釈迦さまは、六年の禅定修行の後に、ブッダガヤの菩提樹下の坐禅中に大いなる悟りを得て、出家求道の課題であった人生の目的と生死の苦悩からの解脱の道を発見せられました。

 お釈迦さまの大いなる悟りは、自分は人間であり、人間は心を持った生物であり、生物は生命の乗り物であり、まことの自分は生命である。また、生命も、生物も、私たち人間も実体的な存在でなく、因縁により生起し、生滅している無自性で、空なる存在であると正覚されました。

 そして、生命は、時間的に、過去より現在へ、現在より未来へ久遠に生きんとしている三世の生命であり、空間的に、人間だけでなく全生物が生命同根で、同じ生命体で十方の生命であると正覚されたのです。

 お釈迦さまは、この「三世十方の生命」のありようのなかに、出家求道の目的であった人生の目的を悟り、生死の苦悩からの解脱の道を発見せられました。

 私たち人間は、自分のために生まれ、生きていると思っていますが、本当は、人間だけでなく全生物は、生命を久遠に伝承せんがためにこの地球上に生まれ、生き、死しているのであります。人間が自分のために生まれ、生きているという思いは、心の中にある無明による虚妄分別であります。

 生死の苦悩からの解脱の道は、まず、教主・お釈迦さまの生涯と、苦・集・道・滅の四諦説を学び、正しく仏教を理解してから、修行者集団・僧伽(さんが)(寺)に入り、仏と法と僧伽の三帰依の信仰と、死の迷いの原因である無明を滅する菩提行(六度の持戒・精進・禅定・菩提)と、生死の苦悩の原因である煩悩を滅する涅槃行(六度の忍辱・布施)の実践により、死の迷いを滅して悟り、生死の苦悩を解脱して安心が得られると悟られました。

 三帰依の信仰は、まず、外なる仏と法と僧伽を持つことからはじまります。それは、礼拝する仏(仏像・仏画)と、仏の教えの聖典と、自分の所属する僧伽を、外に具体的に持ってよりどころとし、常に信仰することです。この外なる仏と法と僧伽を持って信仰することは、この仏と法と僧伽を自分の信心のなかに内在化することで、外なる仏と法と僧伽を内なる仏と法と僧伽としていだき、信仰することです。

 そして、この外なる仏と法と僧伽と内なる仏と法と僧伽の信仰が、外が内をつくり、内が外をつくり、外と内とが相互に働きあって信心を深め、自然に内なる仏と法と僧伽と共に生きる仏法僧伽共生の信心を生むことになります。このことが、仏との祈りを通しての対話を生み、この仏との対話のなかで、仏より悟りと安心をさずかる不思議が生まれるのです。これが、仏法僧伽の功徳共有の信心で、これにより仏道が成就いたします。

 菩提と涅槃行の実践には、人間の迷いと苦悩の原因である無明と煩悩を、生きているときには完全に滅することができないことと、滅しては生きていけないというやっかいな問題があります。このため、生きているときの悟りと安心は、無明と煩悩により迷いと苦悩が生じたときに、仏法の菩提と涅槃行を実践して、悟りと安心に転じてゆくことを繰り返すことによって、悟りと安心を成就することになります。

【4月の法話】  「仏教の祈りと信仰」       4月1日号
         

                  常真寺 住職 【緑蔭禅の集い 主幹】  皆川 廣義

 お釈迦さまは、身近な人々の死の苦しみを見て、二十九歳のとき自分の死を悟り、自分はなんのために生まれ、苦悩して生き、死にたくないのに自ら死してゆくのか、自分の人生の目的はなんなのか。また、どうしたら自分の死の恐怖を解脱し安心を得られるのかという二つの課題を解決するため、樹下石上、三衣一鉢の、行乞生活をしながらきびしい求道をする沙門という修行者になりました。

 お釈迦さまは、幸いにも六年の修行の後に、ブッダガヤの菩提樹下で、禅定を行じているときに、大いなる悟りを得て、課題であった自分の人生の目的を悟り、生死の苦悩を解脱し安心を得る道を発見されました。

 お釈迦さまは、大いなる悟りを得て自分の死の迷いと苦悩を解脱した直後、すべての人々にも自分と同じ死の迷いと苦悩がある、すべての人々に自分の悟った人生の目的と生死の苦悩からの解脱道を伝道せねばならないと決意され、まず多くの若き伝道者を養成され、弟子たちと沙門の生活をしながら、八十歳で亡くなられるまで四十五年間伝道をされ、それにより、仏教という宗教を、おつくりいただきました。

 お釈迦さまは、仏教の教えを、苦・集・道・滅の四諦説と、仏と法と僧伽の三帰依説と、持戒と精進と禅定と菩提の行・忍辱と布施の涅槃行の六度説の三つの教理により、説き示しています。

 四諦説は、苦・集・道・滅の四つのキーワードで、仏教について平易に説かれた教えであります。

 三帰依説は、仏教の仏と法と僧伽(さんが)への帰依と信仰についての方法とその実践を説き示しています。

 六度説は、人間の、死の迷いの原因である無明を滅し、仏の智慧・菩提を得る行と、死の苦悩の原因である煩悩を滅して安心・涅槃を得る行の方法と、その実践を説き示しています。

 このたびは、この三つの教理のなかで、三帰依説について深く学んでいきます。

 三帰依説では、まず、すべての仏教者は、自分の外なる仏と法と僧伽をもつことにより、仏道に入ります。それは自分が帰依し、信仰する仏像を持ち、その仏の説く法・仏典を持ち、仏と法を学び、信じる修行者集団・僧伽(さんが)に入ることです。この外なる仏と仏典と僧伽を持ち、僧伽の活動のなかで、仏さまの生涯を学び、仏典により仏教の教えを学び、僧伽のメンバーの善きことはせよとの教えとして学び、悪しきことはするなとの教えとして学んで、この三つを正しく理解し、帰依し、信仰できるようにします。私の寺での伝道活動では、誰もが月一回の活動参加で約三年すると、仏と法と僧伽を正しく理解し、帰依し、信仰していただくようになっています。

 仏と法と僧伽を学び、正しく理解して帰依し信仰することは、仏教の教えより、この三つを仏教者の信心の中に内在化し、仏と法と僧伽を信仰することができるようになることです。そして、この外なる仏さまの信仰により内なる仏さまをつくり、また、内なる仏さまの信仰による外なる仏さまの信仰が深化し、外と内とが相互に働きあって、誰もが、自分の信心のなかに生涯仏さまと共生する、仏共生の信心が確立することになります。

 そして、誰もが、いつ、どこでもこの内なる仏さまとの祈りを通して対話がきるようになり、この対話のなかに仏さまより悟りと安心をさずかり、仏功徳共有の信心が現成し、自分の仏道が成就されるのです。


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