Ryokuyin Zen Sangha

法話&Photo Gallery 【喫茶去】
喫茶去とは?
平成30年の喫茶去
1月「仏法を正しく学びましょう」 【7月】「お盆の思想(おしえ)
【2月】「お釈迦さまの涅槃」  【8月】仏信仰の仕方--外なる仏と内なる仏--」
【3月】「仏永代供養の意義」  【9月】「墓じまいの危機」
4月】「お釈迦さまの誕生」  【10月】「彼岸への道」
【5月】「家庭崩壊の危機」  【11月】「三世十方の人々を救う道」
【6月】「仏教者の安心と生きがい  【12月】「お釈迦さまの成道と伝道」
 
 1月の法話「仏法を正しく学びましょう」                                           1月1日号 常真寺住職 皆川廣義 

 年頭にあたり、あらためて、お釈迦さまの仏法を正しく学び、仏法により人生の目的を悟り、生死の苦悩を解脱し、安心と生きがいのある人生を歩んでいきましょう。

 仏法は、お釈迦さまによって説き示された教えです。お釈迦さまの八十年の御生涯は、強健な身体と深い智慧、それに暖かな心にめぐまれ、人間として最高のすばらしい人生でした。

私たちは、お釈迦さまのこの立派な生涯を常に学び、正しく理解し、信仰していきましょう。

 次に、お釈迦さまの説き示されました根本の教え、「四諦説」と「三帰依説」と「六度説」の三つの教えを、常に学び、正しく理解し、信じ、行じていきましょう。 

 一、「四諦説」は、苦・集・道・滅の四つのキーワードで、仏法の生死の苦悩からの解脱の道を説明しているものです。1、「苦の教え」は、お釈迦さまが二十代の後半に悟られた、

自分の死のもたらす迷いと苦悩の一大事がすべての人にあることを自覚しなさいという教えです。2、「集の教え」は、お釈迦さまが、宗教者になり、六年の求道をして、

菩提樹下で大いなる悟りを得たときに、死の迷いと苦悩は、自分の心にある無明という心のにごりと煩悩という欲望が原因で生まれることを発見され、死の迷いと苦悩は、

自分の心にあるこの無明と煩悩が原因であるという教えです。3、「道の教え」は、お釈迦さまが、菩提樹下で悟られた、死の苦悩の原因である無明を滅するために、

六度の持戒と精進と禅定と菩提の四行を実践し、仏の智慧=菩提を得る道を説き示した教えです。4、「滅の教え」は、菩提樹下の悟られた、

死の苦悩の原因である煩悩を滅するために、六度の忍辱と布施の二行の実践により解脱し、悟りと安心が得られると教えているのです。

 二、「三帰依説」は、仏と(ほとけさま)と法(そのおしえ)と仏と法を信じ、実践する仏教者の修行者集団である僧伽の三宝に帰依し、

信仰し、悟りと安心を得ることを、説き示されたものであります。

 三、「六度説」は、持戒と精進と禅定と菩提の四行による無明を滅して悟り(菩提)を得る道と、忍辱と布施の二行により煩悩を滅して安心(涅槃)を得る道を、説き示されています。

持戒は生活を正しくし、精進は、一生懸命にお釈迦さまの教えを聴き、禅定は、聴いた教えを正しく自分で理解し、菩提は、自分が正しく理解した仏法を僧伽のメンバーに語り、

メンバーに理解し、認めていただいて仏さまの智慧=菩提とする教えです。忍辱と布施は、苦悩の原因である煩悩を捨てて、安心=涅槃を得る教えです。

 仏教者は、生涯、自分の無明と煩悩は、生きるために必要なものでもあるので、完全に滅することはできません。したがって、無明と煩悩が生まれ、迷いと苦悩が生じたとき、

この六度の実践をして迷いと苦悩を悟りと安心に転じていくのです。

 以上が、お釈迦さまが説き示された仏法であります。私たち仏教者は、お釈迦さまの生涯を常に学び、この四諦、三帰依、六度の根本の教え=仏法を学び、正しく理解し、信仰し、

行じて、悟りと安心を自分の僧伽(寺サンガ・家サンガ)のなかの生活によって現成していきましょう。(駒澤大学名誉教授)

 2月の法話「お釈迦さまの涅槃」        2月1日    常真寺住職    皆川廣義

 釈迦国の皇太子であったお釈迦さまは、二十九歳のとき、国王への道を捨てて、沙門という最下端のきびしい禅定修行をする宗教者になりました。

 それは、身近な人々の死の恐怖を見て、自分の死を自覚し、死の矛盾と苦悩を知り、迷いと恐怖にうちひしがれ、沙門として修行することにより、人生の目的を悟り、生死の苦悩を解脱し安心を求めたたからでした。

 お釈迦さまは、まず、アーラーラ・カーラーマとウドラカ・ラーマープトラというすぐれた禅定者につき、学び、修行しましたが、出家求道の課題を解決することはできませんでした。

しかし、死の迷いと苦悩は、自分の心にある無明というにごりと、煩悩にあると悟り、無明を滅するため禅定と、煩悩を滅するため苦行を、ウルヴェーラの苦行道場へ行き実践されました。

 お釈迦さまは、きびしい断食や止息の行をして、ガンダーラ仏の苦行像のようになり、これ以上苦行を進めると、死してしまうような限界状況になりましたが、出家求道の課題は解決しませんでした。

 そのようなとき、お釈迦さまは、坐禅中に農夫の歌う労働歌を聞いて、「苦楽の中道」を悟り、苦と楽の極端をはなれた中道としての禅定を行じられ、身心がもとのように回復して、

まもなく、ブッダガヤの菩提樹下の座禅中に、自分が「三世十方の生命」であるとの大いなる悟りを得て、この生命のありようのなかに、人生の目的を悟り、生死の苦悩からの解脱の道を発見し、

涅槃(安心)を得て、仏道を成就し、成道しました。仏教では、この菩提樹下で成道したお釈迦さまを、有余(生きているとき)の涅槃仏と呼びます。

 お釈迦さまは、三十五歳で成道してから、八十歳でクシナガラのサーラの林で伝道中亡くなられるまで、悟られた仏道をすべての人に伝道し、自分と同じ死の迷いと苦悩を救済するために、多くの弟子達と四十五年の伝道を実践されました。

 お釈迦さまの四十五年の伝道は、すべての人々への伝道であり、それは自分が亡くなった後の人々への伝道も含まれたものでした。そのため、お釈迦さまは、自分が死んだ後に、

自分が仏教の教主となり、久遠に全仏教者の生命と信心のなかに教主として再生し続け、人々に説法し人々へ悟りと安心をもたらしておられます。

 この自分が亡くなった後に、教主として全仏教者の生命と信心のなかに再生し続けるお釈迦さまのことを、無余(亡くなった後)の涅槃仏と呼んでいます。

 つまり、お釈迦さまは、生きているときに有余の涅槃仏となり四十五年の伝道をし、亡くなってからは人々が存在するかぎり無余の涅槃仏となり、久遠に伝道し続けておられるのです。

 二月十五日は、お釈迦さまがクシナガラのサーラの林で伝道中に亡くなられた涅槃会の日です。それは、お釈迦さまが、有余の涅槃仏より、無余の涅槃仏になられた日でもあり、

お釈迦さまは、この日より、久遠に無余の涅槃仏として人々へ説法し、人々に悟りと安心を与え、救済し続けているのです。

 私たち全仏教者も、お釈迦さまと同じように、生きているとき有余の涅槃仏となり、そして亡くなって無余の涅槃仏となって、久遠に子孫に説法し、悟りと安心を与え続けて行かねばなりません。

すべての仏教者は、有余と無余において久遠実成の仏の道を、実践しているのです。(駒澤大学名誉教授)

3月の法話「仏永代供養(ぶつえいだいくよう)の意義」 3月1日  常真寺住職    皆川廣義 

  私たちの、寺を中心とした主な仏教活動は、仏さまの永代供養であります。仏永代供養は、仏さまを、寺と墓と仏壇の三か所にまつり永代に供養することにより、自分と子孫が悟りと安心を得、
子々孫々が仏法により、繫栄することを願う活動であります。

 このたびは、お釈迦さまが、この永代供養をどのように説き示されているかを学び、永代供養の意義について、お話申し上げます。

 お釈迦さまの教えは、すべての人々にある自分の死がもたらす迷いと苦悩から解脱し、悟りと安心を得る道であります。この悟りと安心を得る道場として寺があり、

そこに①本尊仏(お釈迦さま)と②祖師仏(僧)と③先祖仏の三つの仏さまをおまつりし、供養し、信仰しています。

 私たち仏教者は、寺と家と仏壇の三か所に仏さまをおまつりし、供養し、信仰することを通して、仏さまたちの教えを学び、死の迷いから悟りを得、死の苦悩をのりこえて安心と生きがいをつくってきているのです。

 そして、私たちの寺僧伽(修行者集団)と家僧伽のメンバーは、この仏さまを永代供養することにより、各自が、仏教者としての人生の目的を悟り、生死の苦悩を解脱し、安心を得、子々孫々繫栄してきたのです。

 また、私たちの子孫が、この永代供養を相続し伝承することにより、私たちの生命と信仰と財産が安定して子孫に伝承され、子孫も仏教者としての悟りと安心を得て、幸せに繫栄して行くのです。

 仏教では、私たちが亡くなりますと、お釈迦さまの教えにもとづいて葬儀を行い、お釈迦さまと同じ完全な仏さまとなり、その証明書である御血脈に仏さまの名前を記していただきます。そして、先祖仏となり、寺と墓と仏壇の三か所に、仏さまの名を記しておまつりしていただきます。

 残された子孫は、この三か所にまつられた仏さまを供養し、信仰することを通して、仏さまの生涯や、教えを学びます。「よきことはせよ」「あしきことはするな」と学び、

よきことも、あしきことも、自分の人生に生かして悟りと安心を得てゆきます。このことにより、仏教者たちは久遠に幸せに繁栄していけるのです。

 このようなことを成就させる宗教活動として、仏教の永代供養があるのです。仏永代供養は自分の悟りと安心を得る営みであるとともに、子孫の繁栄と安心をつくりだす尊い営みなのであります。
 
 私たちの仏永代供養の最も大切な意義は、人類が、この地球上に誕生してから自分まで、たくさんの危機を乗り越えてきた生命(三世十方の生命)を、子孫へ久遠に伝承し続け、

それとともに自分も子孫の生命と信心のなかに先祖仏として再生し、説法し続けることであります。仏教者の子孫の生命と信心のなかに再生し、説法し続ける先祖仏としての存在を、「久遠実成の仏」と呼びます。

 今、さまざまな原因で、仏永代供養の危機が生じていますが、寺と墓と仏壇を中心に実践されてきた仏永代供養の意義を正しく認識し、自分と子孫が悟りと安心を得て繁栄していくため、

仏永代供養の伝統を守ってゆかねばなりません。全仏教者が、久遠実成仏となり、悟りと安心を決定するとともに、家僧伽の働きにより生命と信心と財産が子孫に伝承され、家門繁栄してゆかねばならないのです。(駒澤大学名誉教授)

 4月の法話「お釈迦さまの誕生」 4月1日 常真寺住職 皆川廣義

仏教の開祖、お釈迦さまは、今から約二千五百年前、ネパールのルンビニーで、釈迦国の皇太子として誕生されました。このたびは、お釈迦さま誕生の意義について学び、お話いたします。

 お釈迦さまは、誕生より成人になるまでは、平和な時代に、物心両面にめぐまれた環境のなかで幸せに生活されていました。ところが、二十代後半になり、身近な人々の老・病・死の苦悩をみていて、

自分にもあのような一大事がおとずれてくることを知り、自分の死を悟りました。そして自分の死が投げかける迷いや矛盾や苦悩を自覚し、この一大事を解決せねばならないと考え、国王になる道を捨て、沙門という樹下石上、三衣一鉢の行乞生活をする求道者になりました。

 幸いにもお釈迦さまは、六年の厳しい修行の後に、ブッダガヤの菩提樹下の坐禅中に大いなる悟りを得て、「自分がなんのために生まれ、生き、そして死んでいくのか。」という人生の目的と、生死の苦悩から解脱して、安心と生きがいを得る道を発見せられました。

 生命は、三十数億年前に誕生以来、生物という乗物に乗って久遠を求めて生きています。沢山の生物は、死して生命の伝承ができなくなりましたが、今、地球上に生きているすべての生物は、多くの生命断絶の危機を乗り越えて、死なないで生きてきました。また、全生物は生命同根なるものでもあります。

 生命は、誕生以来、自分の過去をふまえて、現在を全身全霊で生き、未来へ生命を伝承せんとして生きているのです。お釈迦さまは、これを時間的に三世の生命と呼び、また、空間的に、生命は全生物をつくりだし全生物は生命同根であり、これを「十方の生命」と呼んでいます。

 生命は、誕生以来、久遠に生きんとする大いなる願いをもち、過去より、現在へ、そして未来に生きんとし、また、十方の生物をつくだしているのです。

 このような「生命の実相」をお釈迦さまより学ぶことができると、日常の凡夫としての自分が、現在と自分の立場にへばりついているあさましい姿を、自覚させられます。自分のために生まれ、生きていると思っていたお釈迦さまも、

隣人の老病死苦より、自分の死を悟り、死の迷いや苦悩からの解脱を求めて沙門としての求道のなかに、真実の自分が、「三世十方の生命」なることを悟り、現在と自分だけにへばりついて生きている自分が、無明と煩悩がつくりだしている幻想であることを悟られたのです。

 私たちは、お釈迦さまの説かれている自分の「三世十方の生命」なる真実を忘れ、無明と煩悩が作りだした幻想の世界でさまよい、苦悩しているのです。

 生命は、個としての生物を乗物にしており、この生命の乗物としての生物は、物ですから壊れるので久遠の乗物になれません。生命は、人間の場合、親より子へと乗物を変え、非連続の連続をして久遠を目指して生きているのです。

 お釈迦さま個人の誕生は、それだけでなく、生命の過去より現在へ、そして未来への不死なる営みの一つであり、また、お釈迦さまの生命は、私たちを含めて今生きている全生物の生命のなかにも久遠を求めて生き続けているのです。(駒澤大学名誉教授

 5月の法話「家庭崩壊の危機」               5月1日 常真寺住職 皆川廣義
 私たち人類は、今から二十万年前に誕生し、血のつながりのある者達が、家庭を中心にして、狩猟採集時代、農耕時代、そして現代の工業時代を生き抜いてきました。

 家庭や血のつながりの近い親族が、地球環境の変化による厳しい時代を、お互いに共調し、助け合って生きてきたのです。

 そして、現代になって、夢であった高度な物質文明を築き、豊かな生活を作りだしました。

 ところが、現代の豊かな社会は、政治、経済、福祉などの発達により、人類にとって、大切であった家の働きを、不必要とし、家が崩壊しています。

 お釈迦さまが、説き示されている人間の家の理想としての「ゆずり葉」のような祖父母、父母、子どもの三世代そろった家が、こわれています。

 この私たちの家の崩壊を、お寺にまつられている本尊のお釈迦さまも、祖師仏も、先祖仏も、大変心配されています。

 家の崩壊は、人間の生命の伝承と心の伝承を、断絶し「絶家」させてしまいます。絶家は、多くの先祖たちが、身を削って生命と心の伝承をしてきてくれた努力が、徒労になってしまうことです。

 家の崩壊が続くと、自分の家だけでなく、全人類が絶滅することになります。ところが、私たちは、目先の雑事に引きずり回されていて、このことに気づいていないのです。

 私たち仏教徒は、仏さまたちが心配されているこの家の崩壊の危機を、お釈迦さまの教えを学び、教えに基づいて解決してゆかねばなりません。

 お釈迦さまは、このような一大事を気づかずにいるのは、人間の心にある無明というにごりと、煩悩という欲望に引きずり回されて、真実の自分に気づいていないからだと説き示されています。

 私たちは、家の崩壊の危機を乗り越えるためにお釈迦さまの教えを学び、正しい智慧(菩提)を修得し、欲望(煩悩)を捨てて正気をとりもどさねばなりません。

 お釈迦さまは、菩提樹下の大いなる悟りを得て、人間は、自分のために生まれ、生き、そして死んでゆくのではなく、人間は、生物であり、生物は生命の乗物であり、生命が自分の真実体であると悟られました。

 生命は、三十数億年前に誕生したときに、一秒でも長く生きようとする願いをもち、単細胞生物のときは、細胞分裂により新しい乗物に伝承して生き続け、多細胞生物になってからは、親より子へと伝承して永遠を求めて生きてきているのです。

 今、地球上に生きている全生物は、数えきれない危機を見事に乗り越えて、死なないで三十数億年生き抜いているのです。

 
 この生命の実相が、物語っているように、全生物は、自分のために生まれているのでなく、生命を永遠に伝承せんがため、その乗物として生まれ、生き、死しているのです。

 お釈迦さまが説示された、この生命の実相の教えを、正しく学び、自分の無明と煩悩を見きわめて、先祖仏たちと同じように生命の伝承と心の伝承を、家を中心にして実現してゆかねばなりません。(駒澤大学名誉教授)
 
 6月の法話「仏教者の安心と生きがい」     6月1日      常真寺 住職  皆川廣義     

 お釈迦さまは、二十代後半になり、隣人の老病死の苦悩を見ていて、自分にもあのような死の一大事があることを悟られました。そして、死がもたらす迷いや矛盾と深い苦悩(悲・カルーナー・うめき)に打ちのめされることになりました。

 この死の迷いや苦悩を解脱せんと、すぐれたバラモンの僧に教えを学びましたが、解決への道は発見できませんでした。

 そこで、みずから国王への道を捨てて、樹下石上・三衣一鉢の行乞生活をする沙門という修行者になり、禅定の行を学び、実践されました。当時のすぐれた禅定者である、アーラーラ・カーラーマとウドラカ・ラーマプッタについて学び、

死の迷いと苦悩の原因は、自分の心にある「無明(むみょう)」と「煩悩(ぼんのう)」であると学びとり、さらに悟りと安心を得るため、ウルヴェーラの苦行道場で禅定と苦行を学び、実践されました。お釈迦さまは、

これ以上苦行をすると死んでしまうような苦行を行じましたが、解決の道は発見できませんでした。そんなとき、農夫の労働歌を聴いて、苦楽の中道が、解決の道であることを悟られました。         

 そして、ブッダガヤの菩提樹下で『苦楽の中道』としての坐禅を行じているときに、大いなる悟りを得て、死の迷いと苦悩から解脱し、安心と生きがいを得る道を発見せられました。                 
 
 お釈迦さまは、自分は、心をもった動物であり、動物は生物であり、生物は、生命の乗物であり、真実の自分は、生命であり、それは『三世十方の生命』であると悟られ、

そして、この三世十方の生命のありようのなかに、死の迷いと苦悩を解脱する道を、発見せられたのです。

 三世の生命とは、時間的に過去三十数億年前に、この地球上に生命として誕生したときから、現在の自分まで生き続け、自分より子孫へ伝承され、未来へ永遠に生きようとしている生命体であります。

また十方の生命とは、空間的に、自分をつくっている生命は、全人類をつくり、全生物をつくっているもので、全生物は生命同根なる生命体であります。

 自分が、このような途方もない三世十方の生命体であるという真実を、自分の心のなかにある無明というにごりと、煩悩という欲望によって見失わせているのです。

 お釈迦さまは、この苦悩の原因である無明を滅する行と煩悩を滅する行として、苦・集・道・滅の四諦説と仏・法・僧伽の三帰依説と持戒・精進・禅定・菩提の菩提行と忍辱・布施の涅槃行の六度説を実践することにより、

すべてのひとが、死の迷いを乗り越え、死の苦悩を解脱して、安心と生きがいを得ることを発見されたのです。

 お釈迦さまは、菩提樹下の成道以後、自分が発見した仏法は、すべての人々に必要なものであると自覚し、伝道することを決意され、三十五歳より、八十歳でクシナガラの林のなかで亡くなるまでの四十五年間伝道することにより、私たちの仏教が完成したのです。

 仏教者の安心と生きがいは、自分の生命のなかに三十数億年生き抜いた先祖の生命力と智慧が生きており、自分の生命は、仏教者としての子孫を永遠につくりだすことにより、

子孫の生命と信心のなかに久遠に生き続けていくという非連続の連続による不死の道であります。(駒澤大学名誉教授) 

 
【7月 の法話】「お盆の思想(おしえ)」 7月1日    常真寺 住職    皆川廣義
 お盆の行事は、お釈迦さまのどのような教えにもとづいて生まれたのか、学んでいきたいと思います。お盆の思想は、『盂蘭盆経』という経典に説き示されています。この経典の説法者は、お釈迦さまで、弟子の目連さんとその母が、登場人物になっています。 目連さんの家はマガダ国のナーランダ村のバラモンでした。バラモンは、インドの身分制度(カースト)の一番上の位で、富と宗教的権力を持っていました。

 目連さんは、若いときマガダ国の都ラージャガハでお釈迦さまの説法を聞き、感銘し、弟子になりました。
 目連さんのお母さんは、やさしい子煩悩な方で、お釈迦さまのもとで厳しい修行をしている目連さんが、身体を壊し、病気にならないかと心配し、とうとう、自らが心の病気になってしまいました。

このことを、目連さんは、風の便りで知り、母のことが心配になり、どうしたらこの母の病を救うことができるかを、お釈迦さまに相談されました。お釈迦さまは、お坊さんたちの夏の修行が修了する七月十五日、お母さんに食物の御供養をしていただくと病気はよくなると、説き示されました。

 そこで、目連さんは、お母さんにその御供養をお願いしました。お母さんは、七月十五日の朝、自ら家人たちと供養の食物をつくり、お釈迦さまをはじめとするすべてのお坊さんたちに、御供養されました。

 そして、目連さんのお母さんは、お坊さんたちへの御供養が修了したとき、心の病が自然になくなっていました。どうして、お母さんの病気が、よくなったのでしょうか。

 それは、目連さんのお母さんが、御供養しながら、お釈迦さまのもとでこんなにも多くのお坊さんたちが厳しい修行をしていたことを知り、自分は我が子だけしか心配してなかったことを悟り、自分の愛は、自分の子だけという「小さな愛」であったことを自覚し、反省されました。そして、お釈迦さまの教えにもとづき、すべてのお坊さんへ御供養することを通して「大きな愛」を実践し、無明を滅し、煩悩を捨てて安心を授かり、病気が治ったのでした。

 お釈迦さまは、自分の子だけという小さな愛も、人間には子供を育てるのに必要なものであるが、それだけでは、無明と煩悩に汚染され、苦悩を生むことになる。どうしても、まことの安心を得るためには、この自分の子だけという小さな愛だけでなく、すべての子への大いなる愛をもち、実践しなければならないと、説き示されているのです。

 お釈迦さまのお盆の思想(教え)は、「小さな愛だけでなく、大きな愛をもつことで、まことの悟りと安心をつくりましょう。」というものなのです。

 私たちのお盆は、自分たちの信じている仏(本尊釈迦牟尼仏・祖師仏・先祖仏)さまだけでなく、年に一度だけでも、供養していただけない仏さま(無縁仏)を迎え火を焚いてお迎えし、共に供養し、お盆が終わったときに送り火を焚いてお帰りいただいているのです。

 仏教者として、小さな愛だけでなく、大きな愛の実践が、悟りと安心のために、どうしても必要なのです。(駒澤大学名誉教授)
 
 
【8月】 「仏信仰の仕方 --外なる仏と内なる仏--」 8月1日      常真寺  住職   皆川廣義
  仏教は、お釈迦さまによって説き示された生死の迷いと、苦悩から解脱し、悟りと安心を得る道であります。

 仏教の悟りと安心への道は、仏信仰と菩提と涅槃行の実践であります。
 

 このたびは、仏信仰の仕方について、お釈迦さまの教えを通して、学んでいきます。

 仏教の仏さまは、ご本尊のお釈迦さまはじめ、たくさんの仏さまがおられて、どなたを信じていけばよいのか、迷ってしまいます。

 私は、皆さんに、本尊仏であるお釈迦さまと、その教えを代々人々に伝えてきた祖師仏と、各家をお守りしている先祖仏の三つの仏さまを信仰することを、おすすめしています。
 
 まず、この本尊仏と祖師仏と先祖仏を、仏像・仏画・法名を記した位牌と仏舎利で、菩提寺と各家の仏壇と墓の三か所におまつりします。

 この三つの仏さまのなかで、中心になる仏さまは、お釈迦さまです。お釈迦さまは、最初に仏さまになられた方で、仏教の教主であり、ご本尊様でもあります。

 お釈迦さまのご生涯や教えを、寺の伝道活動のなかで、常に学んでいただき、正しく理解し、仏さまとして信仰していきましょう。ほかの祖師物や先祖仏についても、生涯や教えを学んで、正しく理解し、仏さまとして信仰します。先祖仏の生前の善きことはせよとの教え、と学び、悪しきことはするな、と学んでいきましょう。

 この三つの仏さまへのお参りは、毎日実行していただきたいものです。山陰地方の米子や安来市では、今でも檀信徒の方は、毎朝、仏壇と寺と墓にお参りしています。寺では、なかなかお参りできない方のため、『常真寺便り』の表紙のところに、「朝夕、お寺とお仏壇とお墓の三か所にまつられている仏さまに、おまいりしましょう。まずお仏壇の仏さまにおまいりし、次に、お寺の仏さまの方向に向かっておまいりし、最後に、お墓の仏さまの方向に方向に向かっておまいりしましょう。」というお願いをしています。これは、だれでもが実践できる素晴らしいおまいりの仕方ですから、是非実践してください。この寺と仏壇と墓にまつられた三つの仏さまは、「外なる仏さま」です。この外なる仏さまをおまつりし、供養し、信仰してください。信仰するということは、外なる仏さまを自分の信心のなかに内在化することで、この仏さまを「内なる仏さま」とお呼びします。

 仏信仰は、まず外なる仏さまを信仰して内なる仏さまをつくり、そして、この内なる仏さまの信仰が、外なる仏さまの信仰を深めることで、外と内との仏信仰が相互に影響しあい、信仰が深まってゆくのです。

 そして、この信仰の深まりが、仏さまと生涯共に生きる「仏共生という信仰」をつくりだします。仏共生の信仰が、できるようになると、祈りを通して仏さまとお話合いができるようになります。そして仏さまに苦しみを語り、その解決をお聞きできる不思議が生まれ、悟りと安心をいただけるようになるのです。仏共生の信仰により、祈りを通して仏さまより悟りや安心をいただくことを「仏功徳共有」の信仰といいます。

 これによって、仏教者は、今生における仏道が完成し、私たちは、仏国土に住むことができるのです。(駒澤大学名誉教授)
 
 9月の法話】 「墓じまいの危機」       9月1日       常真寺住職   皆川廣義

 私たちの「生命(いのち)」は、自分だけでなく、御先祖さまのものであり、子孫たちのものでもあります。

このことを、お釈迦さまは、生命は「三世十方の生命」であると、説き示されています。

凡夫としての私たちは、時間的には、「今」、空間的には、自分の立場から考え、自分個人の生命しか考えていません。

しかし、私たちの生命の真実は、「三世十方の生命」であるのです。時間的には、今から三十数億年前に生まれてから、自分まで生き、そして子孫へ久遠に生きんとしている過去・現在・未来に生きる「三世の生命」なのです。また、空間的には、自分を作っている生命は全人類をつくり、全生物をつくっている「十方の生命」であり、全生物は生命同根なのです。

お釈迦さまは、菩提樹下で悟りを得るまでは、自分の立場からだけ生命を考えていましたが、悟りを得て、生命の立場より自分を見る仏さまの智慧(菩提)を得られました。

私たち仏教者は、このお釈迦さまの教えをふまえて、自分の存在を、「三世十方の生命」の立場と、「自分の生命」の立場の二つの立場より見る眼(まなこ)を、常に持たねばなりません。

「三世十方の生命」の立場から考えると、自分の生命が、自分だけのものでなく、三十数億年前より、久遠に生きんとしている生命であることが自覚されます。

私たち人間だけでなく全生物が、生命を久遠に伝承するために生まれ、生き、生命を子孫に伝承し、亡くなっていくのです。

この生命の実相を、自覚することが仏教の悟りです。仏教では、この悟った人を正覚者・ブッダ・仏(ほとけ)というのです。仏教者は、みな、自分が「三世十方の生命」なることを悟り、みな仏とならねばならないのです。

仏教者は、自分が「三世十方の生命」であり、自分の人生の目的は、生命を久遠に伝承することにあり、そのために生まれ、心を持った生物として成長し、結婚し、ゆずり葉のような三世代そろった家をつくり、子孫へ生命と心を伝承し、ひこ孫が生まれるころに、彼らに生きる場所をゆずり、亡くなっていくのです。

私たち現生人類(ホモ・サピエンス)は、誕生以来七万年生きてきました。その間、ネアンデルタール人などほかの人類は滅亡してしまいました。

私たち現生人類が生き残ることができたのは、家を中心として、助け合いながら生活してきたからだといわれています。

ところが、現代の物質文明社会は、この大切な家を崩壊させ、生命伝承の危機をつくりだしています。結婚しない人、結婚できない人の増加などで家が崩壊し、生命が断絶し、人類滅亡への道を歩んでいるのです。

仏教による葬儀が減少し、墓じまいが行われるようになったことは、このように七万年生きてきた私たち現生人類が、物質文明化による自我(煩悩)の野放図な暴走により、生物の生命の伝承という大切なことを忘れ、人類滅亡の危機へと進んでいることへの、警鐘を鳴らしているように考えられます。

10月の法話】 「墓じまいの危機」       10月1日       常真寺住職   皆川廣義

 彼岸という言葉は、私たちの迷い苦しんでいる此(し)岸(がん)より、仏法により悟りと安心を得た仏(正覚者)さまの境界(彼岸)のことです。

お釈迦さまは、二十代の後半になり、隣人の老病死の苦悩を見て、自分の老病死を自覚し、深い死の迷いと苦悩に打ちのめされました。そして、「自分はなんのために生まれ、生き、死にたくないのに自死してゆくのか。自分の人生の目的はなんなのか。」という課題と、どうしたら、死のもたらす迷いと苦悩を解脱(げだつ)して、悟りと安心を得ることができるのかという二つの課題をもたれました。

お釈迦さまは、この課題を解決するため、みずから「沙門」という修行者になりました。沙門は、樹下石上、三衣一鉢の行乞生活というきびしい禅定をする求道者であります。

お釈迦さまは、六年の禅定修行を経て、ブッダガヤの菩提樹下の坐禅中に、大いなる悟りを得て、人生の目的を悟り、生死の苦悩からの解脱道を発見せられました。

お釈迦さまが、悟られた人生の目的と生死の苦悩から解脱する道は、仏(ぶつ)と法(ほう)と僧伽(さんが)の三帰依の信仰と、持戒・精進・禅定・菩提(ぼだい)の行と、忍辱・布施の涅槃(ねはん)行の二行の実践であります。

仏と法と僧伽の三帰依の信仰は、まず、外なる仏さまをまつり、その法(仏さまの教え)を学び、仏さま

の法を信じ、修行する集団(僧伽)に入ることよりはじまります。そして仏と法と僧伽を正しく理解し、信じます。

 仏と法と僧伽に帰依し、信じるということは、自分の信心のなかに、仏と法と僧伽を自覚的に内在化することです。この内在化した仏と法と僧伽を、内なる仏と法と僧伽といいます。内なる仏と法と僧伽への信仰が生まれますと、外なる仏と法と僧伽への信仰が自然に生まれます。また、外なる仏と法と僧伽への信仰の深まりは、内なる仏と法と僧伽への信仰と同時に深めて、外と内とが相互にはたらきあって、信仰が深まり、内なる仏と法と僧伽と生涯ともに生きる、仏と法と僧伽の共生の信仰が生まれます。

 仏と法と僧伽が内在化し、共生する信仰が生まれますと、祈りを通してその仏と法と僧伽と対話することができるようになります。この仏との対話のなかで、悲しみを語り、その解脱への道を求め、悟りと安心をいただくという不思議が生まれるのです。

 内在化し自分と共に生きている仏と法と僧伽は、自分のことをよく知っている存在となり、嘘をつくことをできなくなり、また、仏教者にとって仏と法を僧伽は、もっとも信頼できる存在にもなります。

 次に、菩提と涅槃行の実践は、迷いと生死の苦悩の原因となっている無明と煩悩を滅し、悟りと安心を得る行であります。無明を滅する菩提行は、生活を正し(持戒)、聞法精進し(精進)、(禅定)により仏智慧を得て、その仏智慧を僧伽のなかでメンバーにそれを理解していただき、普遍的智慧である(菩提)を得ます。煩悩を滅する涅槃行は、(忍辱)と(布施)行の実践により、自分の苦悩の原因である煩悩を捨て安心を得る行です。

 この三帰依の信仰と菩提と涅槃の二行の実践が、私たちの此岸より彼岸の道であります。

11月の法話】 「三世十方の人々を救う道」       11月1日       常真寺住職   皆川廣義

 お釈迦さまは、二十代の後半まで、幸せな人生を生きておられましたが、隣人の老病死苦を見て自分の死を悟り、死のもたらす恐怖のなかで、深い苦悩にうちひしがれました。この苦悩から解脱し安心を求め、国王になる道を捨てて、沙門というきびしい行乞生活をする修行者になりました。

そして、六年の求道の後に、ブッダガヤの菩提樹下の坐禅中に、大いなる悟りを得て、この苦悩からの解脱道を発見されました。

お釈迦さまは、菩提樹下の悟りによって、死の迷いと苦悩は、人間の心にある無明というにごりと、煩悩という欲望が原因であるとあきらめられました。そして、安心を得るため、仏と法と僧伽(さんが)の三帰依の信仰と、無明を滅する菩提行と煩悩を滅する涅槃行の六波羅蜜行の実践を、説き示されています。

お釈迦さまの教えは、無明と煩悩に引きずり回されている状態より、これをコントロールして安心を得る道の実践であります。

お釈迦さまは、悟りと安心を得る仏道を発見すると、自分だけでなくすべての人々に無明と煩悩があり、死の迷いと苦悩があるから、すべての人々にこの仏道を伝えねばならないと、決意されました。

そして、すべての人々への伝道を熟慮され、まず、自分一人だけでは不可能であるから、若き伝道者を養成することよりはじめられました。まず、五比丘への伝道から、数千人の伝道者を順次に養成されました。

次に、この数千人の伝道者たちと、全インドの人々への伝道と外国人への伝道を展開し、数年でこれをなしとげられました。

さらに、四十五年の伝道の大半をかけて、自分たち伝道者が亡くなった後の人々への伝道を考え、伝道の場である寺をつくり、仏教者の修行集団である僧伽(さんが)を作り、教理、儀礼、生活規範である戒律などを作られました。これによって、仏教教団が誕生し、現代における世界の全仏教があるのです。

お釈迦さまは、人間が亡くなって迷いや苦悩の原因である無明と煩悩も、心身を捨てることによって完全に滅尽し、完全な涅槃に入り、完全な仏となると説き示されています。この教えに基づき遺言し、自分も亡くなることにより完全な仏となるので、その成仏の儀式である葬儀をし、遺体は火葬にし、清浄な残された骨を仏さまのお骨・仏舎利(ぶっしゃり)とし、死後、自分の象徴として寺にまつり、仏として信仰していっていただきたいと、説き示されています。

仏教では、このように寺にまつられたお釈迦さまを「外なる仏」と呼び、これを供養し、信仰することにより、仏教者の信心のなかに外なる仏を内在化し「内なる仏」として信仰します。内なる仏さまの信仰は、自然に外なる仏さまへの供養、信仰を生んで、外と内とが相互に助け合いながら、信仰が深まって、祈りを通しての仏との対話により「仏共生の信仰」が生まれ、この仏共生の信仰が深化して、「仏功徳共有の信仰」となって、仏さまよりすべての仏教者に、悟りと安心がさずかるのです。

そして、 お釈迦さまはじめ祖師仏も先祖仏も、仏教者の信心のなかに再生し、久遠に説法し続ける久遠実成の仏となり、滅後もすべての人々へ伝道を続けてくれているのです。

【12月の法話】 「お釈迦さまの成道と伝道」       12月1日       常真寺住職   皆川廣義

お釈迦さまは、約二千五百年前の十二月八日の朝、インドのブッダガヤの菩提樹下で、坐禅中に、自分がなんのために生まれ、生き、そしてなぜ死んでゆくのかという「人生の目的」を悟り、「生死の苦悩から解脱し安心を得る道」を発見せられ、仏さまになられました。

このお釈迦さまが、仏さまになり、仏道を成就したことを「成道」といいます。

お釈迦さまの成道は、自分は、心を持った人間であり、人間は、動物である。動物は、生物である。生物は、生命の乗物であり、まことの自分は生命である、という悟りにより生まれました。

自分の生命は、時間的には、この地球上に生まれてより、死なないで、親より子へと伝承され自分にいたり、自分より、子孫へ永遠に生きんとしている「不死(ふし)」なるものであります。また、空間的には、自分の生命は同朋(はらから)につらなり、全人類、全生物につらなり、自分と全生物は、生命同根なるものであります。この生命の真実のありようを、「三世(さんぜ)十方(じっぽう)の生命(いのち)」と言います。

お釈迦さまは、自分の三世十方の生命のありようのなかに、人生の目的と生死の苦悩からの解脱の道を発見せられました。

この三世十方の生命のありようは、自分の生命は自覚して生きているのですが、凡夫としての私たち人間は、心のなかにある無明(むみょう)というにごりと煩悩(ぼんのう)という欲望により、この生命の真実を見失っているのです。

お釈迦さまは、人間の迷いと苦悩の原因が、この無明と煩悩にあると悟られました。

そして、お釈迦さまは、迷いと苦悩の原因である無明を滅する菩提(ぼだい)行(ほとけさまの智慧・六度の持戒と精進と禅定と菩提)の実践と、煩悩を滅する涅槃(ねはん)行(ほとけさまの安心・六度の忍辱と布施)の実践により、死の迷いと苦悩より解脱し、安心と生きがいが得られることを発見されました。

お釈迦さまは、菩提樹下の成道により、自分の沙門としての求道の目的を解決せられたのですが、自分と同じようにすべての人々の心に無明と煩悩があり、迷い苦悩していることを自覚し、すべての人々へ、仏法を伝道せねばならないと決意し、三十五歳より八十歳で亡くなるまで、沙門として厳しい生活をしながら四十五年の伝道の実践をされました。

まず、すべての人々への伝道は、自分ひとりでは不可能なので、はじめに、若きすぐれた伝道者を数千人養成しました。

次に、この若き伝道者と共に全インドのすべての人々への伝道を実践されました。それは、上智下愚、貧富、身分などを区別しない、文字通りすべての人々への伝道でした。したがって、お釈迦さまの仏法は、すべての人が悟りと安心を得られる道で、けっして今日の仏教のような難解難行なるものではないのです。

全インドの人々へ伝道の次には、外国の人々への伝道を実践されました。

最後に、お釈迦さまは、自分と同志の伝道者たちが亡くなった後の人々への伝道を考え、僧と信者からなる僧伽(さんが)(修行者集団・寺サンガと家サンガ)の組織をもった仏教という宗教をつくられました。

このお釈迦さまが伝道された仏教は、現代のグローバルな情報化世界になり、やっと全人類の仏教となり、その誓願が成就され、お釈迦さまもほっとしておられると思います。

 

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