【1月】「仏法を正しく学びましょう」 | 【7月】「お盆の思想」 |
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【2月】「お釈迦さまの涅槃」 | 【8月】「仏信仰の仕方--外なる仏と内なる仏--」 | ||||||||||||
【3月】「仏永代供養の意義」 | 【9月】「墓じまいの危機」 | ||||||||||||
【4月】「お釈迦さまの誕生」 | 【10月】「彼岸への道」 | ||||||||||||
【5月】「家庭崩壊の危機」 | 【11月】「三世十方の人々を救う道」 | ||||||||||||
【6月】「仏教者の安心と生きがい」 | 【12月】「お釈迦さまの成道と伝道」 | ||||||||||||
1月の法話「仏法を正しく学びましょう」 1月1日号 常真寺住職 皆川廣義 | |||||||||||||
年頭にあたり、あらためて、お釈迦さまの仏法を正しく学び、仏法により人生の目的を悟り、生死の苦悩を解脱し、安心と生きがいのある人生を歩んでいきましょう。 私たちは、お釈迦さまのこの立派な生涯を常に学び、正しく理解し、信仰していきましょう。 自分の死のもたらす迷いと苦悩の一大事がすべての人にあることを自覚しなさいという教えです。2、「集の教え」は、お釈迦さまが、宗教者になり、六年の求道をして、 菩提樹下で大いなる悟りを得たときに、死の迷いと苦悩は、自分の心にある無明という心のにごりと煩悩という欲望が原因で生まれることを発見され、死の迷いと苦悩は、 自分の心にあるこの無明と煩悩が原因であるという教えです。3、「道の教え」は、お釈迦さまが、菩提樹下で悟られた、死の苦悩の原因である無明を滅するために、 六度の持戒と精進と禅定と菩提の四行を実践し、仏の智慧=菩提を得る道を説き示した教えです。4、「滅の教え」は、菩提樹下の悟られた、 死の苦悩の原因である煩悩を滅するために、六度の忍辱と布施の二行の実践により解脱し、悟りと安心が得られると教えているのです。 信仰し、悟りと安心を得ることを、説き示されたものであります。 持戒は生活を正しくし、精進は、一生懸命にお釈迦さまの教えを聴き、禅定は、聴いた教えを正しく自分で理解し、菩提は、自分が正しく理解した仏法を僧伽のメンバーに語り、 メンバーに理解し、認めていただいて仏さまの智慧=菩提とする教えです。忍辱と布施は、苦悩の原因である煩悩を捨てて、安心=涅槃を得る教えです。 この六度の実践をして迷いと苦悩を悟りと安心に転じていくのです。 行じて、悟りと安心を自分の僧伽(寺サンガ・家サンガ)のなかの生活によって現成していきましょう。(駒澤大学名誉教授) |
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2月の法話「お釈迦さまの涅槃」 2月1日 常真寺住職 皆川廣義 | |||||||||||||
釈迦国の皇太子であったお釈迦さまは、二十九歳のとき、国王への道を捨てて、沙門という最下端のきびしい禅定修行をする宗教者になりました。 しかし、死の迷いと苦悩は、自分の心にある無明というにごりと、煩悩にあると悟り、無明を滅するため禅定と、煩悩を滅するため苦行を、ウルヴェーラの苦行道場へ行き実践されました。 まもなく、ブッダガヤの菩提樹下の座禅中に、自分が「三世十方の生命」であるとの大いなる悟りを得て、この生命のありようのなかに、人生の目的を悟り、生死の苦悩からの解脱の道を発見し、 涅槃(安心)を得て、仏道を成就し、成道しました。仏教では、この菩提樹下で成道したお釈迦さまを、有余(生きているとき)の涅槃仏と呼びます。 自分が仏教の教主となり、久遠に全仏教者の生命と信心のなかに教主として再生し続け、人々に説法し人々へ悟りと安心をもたらしておられます。 お釈迦さまは、この日より、久遠に無余の涅槃仏として人々へ説法し、人々に悟りと安心を与え、救済し続けているのです。 すべての仏教者は、有余と無余において久遠実成の仏の道を、実践しているのです。(駒澤大学名誉教授) |
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3月の法話「 |
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私たちの、寺を中心とした主な仏教活動は、仏さまの永代供養であります。仏永代供養は、仏さまを、寺と墓と仏壇の三か所にまつり永代に供養することにより、自分と子孫が悟りと安心を得、 そこに①本尊仏(お釈迦さま)と②祖師仏(僧)と③先祖仏の三つの仏さまをおまつりし、供養し、信仰しています。 よきことも、あしきことも、自分の人生に生かして悟りと安心を得てゆきます。このことにより、仏教者たちは久遠に幸せに繁栄していけるのです。 それとともに自分も子孫の生命と信心のなかに先祖仏として再生し、説法し続けることであります。仏教者の子孫の生命と信心のなかに再生し、説法し続ける先祖仏としての存在を、「久遠実成の仏」と呼びます。 仏永代供養の伝統を守ってゆかねばなりません。全仏教者が、久遠実成仏となり、悟りと安心を決定するとともに、家僧伽の働きにより生命と信心と財産が子孫に伝承され、家門繁栄してゆかねばならないのです。(駒澤大学名誉教授) |
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4月の法話「お釈迦さまの誕生」 4月1日 常真寺住職 皆川廣義 |
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仏教の開祖、お釈迦さまは、今から約二千五百年前、ネパールのルンビニーで、釈迦国の皇太子として誕生されました。このたびは、お釈迦さま誕生の意義について学び、お話いたします。 自分にもあのような一大事がおとずれてくることを知り、自分の死を悟りました。そして自分の死が投げかける迷いや矛盾や苦悩を自覚し、この一大事を解決せねばならないと考え、国王になる道を捨て、沙門という樹下石上、三衣一鉢の行乞生活をする求道者になりました。 隣人の老病死苦より、自分の死を悟り、死の迷いや苦悩からの解脱を求めて沙門としての求道のなかに、真実の自分が、「三世十方の生命」なることを悟り、現在と自分だけにへばりついて生きている自分が、無明と煩悩がつくりだしている幻想であることを悟られたのです。 |
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5月の法話「家庭崩壊の危機」 5月1日 常真寺住職 皆川廣義 | |||||||||||||
私たち人類は、今から二十万年前に誕生し、血のつながりのある者達が、家庭を中心にして、狩猟採集時代、農耕時代、そして現代の工業時代を生き抜いてきました。 家庭や血のつながりの近い親族が、地球環境の変化による厳しい時代を、お互いに共調し、助け合って生きてきたのです。 そして、現代になって、夢であった高度な物質文明を築き、豊かな生活を作りだしました。 ところが、現代の豊かな社会は、政治、経済、福祉などの発達により、人類にとって、大切であった家の働きを、不必要とし、家が崩壊しています。 お釈迦さまが、説き示されている人間の家の理想としての「ゆずり葉」のような祖父母、父母、子どもの三世代そろった家が、こわれています。 この私たちの家の崩壊を、お寺にまつられている本尊のお釈迦さまも、祖師仏も、先祖仏も、大変心配されています。 家の崩壊は、人間の生命の伝承と心の伝承を、断絶し「絶家」させてしまいます。絶家は、多くの先祖たちが、身を削って生命と心の伝承をしてきてくれた努力が、徒労になってしまうことです。 家の崩壊が続くと、自分の家だけでなく、全人類が絶滅することになります。ところが、私たちは、目先の雑事に引きずり回されていて、このことに気づいていないのです。 私たち仏教徒は、仏さまたちが心配されているこの家の崩壊の危機を、お釈迦さまの教えを学び、教えに基づいて解決してゆかねばなりません。 お釈迦さまは、このような一大事を気づかずにいるのは、人間の心にある無明というにごりと、煩悩という欲望に引きずり回されて、真実の自分に気づいていないからだと説き示されています。 私たちは、家の崩壊の危機を乗り越えるためにお釈迦さまの教えを学び、正しい智慧(菩提)を修得し、欲望(煩悩)を捨てて正気をとりもどさねばなりません。 お釈迦さまは、菩提樹下の大いなる悟りを得て、人間は、自分のために生まれ、生き、そして死んでゆくのではなく、人間は、生物であり、生物は生命の乗物であり、生命が自分の真実体であると悟られました。 生命は、三十数億年前に誕生したときに、一秒でも長く生きようとする願いをもち、単細胞生物のときは、細胞分裂により新しい乗物に伝承して生き続け、多細胞生物になってからは、親より子へと伝承して永遠を求めて生きてきているのです。 今、地球上に生きている全生物は、数えきれない危機を見事に乗り越えて、死なないで三十数億年生き抜いているのです。 この生命の実相が、物語っているように、全生物は、自分のために生まれているのでなく、生命を永遠に伝承せんがため、その乗物として生まれ、生き、死しているのです。 お釈迦さまが説示された、この生命の実相の教えを、正しく学び、自分の無明と煩悩を見きわめて、先祖仏たちと同じように生命の伝承と心の伝承を、家を中心にして実現してゆかねばなりません。(駒澤大学名誉教授) |
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6月の法話「仏教者の安心と生きがい」 6月1日 常真寺 住職 皆川廣義 | |||||||||||||
お釈迦さまは、二十代後半になり、隣人の老病死の苦悩を見ていて、自分にもあのような死の一大事があることを悟られました。そして、死がもたらす迷いや矛盾と深い苦悩(悲・カルーナー・うめき)に打ちのめされることになりました。 死の迷いと苦悩の原因は、自分の心にある「 これ以上苦行をすると死んでしまうような苦行を行じましたが、解決の道は発見できませんでした。そんなとき、農夫の労働歌を聴いて、苦楽の中道が、解決の道であることを悟られました。 そして、この三世十方の生命のありようのなかに、死の迷いと苦悩を解脱する道を、発見せられたのです。 また十方の生命とは、空間的に、自分をつくっている生命は、全人類をつくり、全生物をつくっているもので、全生物は生命同根なる生命体であります。 すべてのひとが、死の迷いを乗り越え、死の苦悩を解脱して、安心と生きがいを得ることを発見されたのです。 子孫の生命と信心のなかに久遠に生き続けていくという非連続の連続による不死の道であります。(駒澤大学名誉教授) |
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