Ryokuyin Zen Sangha

法話&Photo Gallery 【喫茶去】
喫茶去とは?

平成21年の法話
【1月の法話】 「人生の目的を悟る」 【7月の法話】 「人生の目的 何のために死ぬのか」
【2月の法話】 「仏さまをまつり供養する」 【8月の法話】 「お盆の迎え火」
【3月の法話】 「朝夕のおつとめ」 【9月の法話】 「仏さまの供養」
【3月(春彼岸)の法話】 「苦しみをのりこえる」 【9月(秋彼岸)の法話】 「布施における自利と利他」
【4月の法話】 「自分の死後について」 【10月の法話】 「入信得度のすすめ」
【5月の法話】 「この世とあの世」 【11月の法話】 「信仰・外なる仏と内なる仏」
【6月の法話】 「生と死を考える」 【12月の法話】 「お釈迦さまの成道」

 
【1月の法話】 「人生の目的を悟る」  1月1日

常真寺 住職 【緑蔭禅の集い 主幹】
  皆川 廣義


年の初めに、仏教者として「人生の目的」を再確認いたしましょう。この人生の目的が、あいまいになっていることで、自分の都合により簡単に他人を殺してしまうような事件が起きているように思います。現代は、仏教者として自分の人生の目的を確認するだけでなく、人々にも仏教における人生の目的を語り伝えて、悲しい事件が起きないようにして行かねばならない時でもあります。

お釈迦さまは王家に生まれ、二十代までは、平和な時代に物質的にも精神的にも恵まれた環境の中で幸せに生活されておりました。二十代の後半になり、身近な人々の老いの苦しみ、病気の苦痛、死に行く人々の恐怖などより、自分にもいつかはこのような生死の苦悩がおとずれることを教えられました。そして、このような老病死の苦しみよりどうしたら解脱し、安心が得られるかを考えるようになりました。

また、老病死の苦しみを避けたいと思って努力している自分が、それをつくり出していることも悟られました。一生懸命に生きようと努力して生きている自分自身が、一方で老いをつくり、病をつくり、死をつくっている矛盾を自覚されたのであります。生きる努力を一生懸命にしている自分自身が、自分を壊して死する努力をしているという人生の矛盾を悟られたのです。

お釈迦さまは、生死の苦悩を解脱し、人生の目的を悟り、安心を得たいと願い、二十九歳の時に国王への道を捨てて、宗教者への道を歩むことになりました。そして、六年のさまざまな求道の後、ブッダガヤの菩提樹下の坐禅行中に、大いなる悟りを得、この二つの課題を解決する道を発見されました。

お釈迦さまの悟りは、自分が「三世十方の生命」であるという自覚より生まれました。私たちは、自分が生命を持っていると思っていますが、本当は生命が、自分をこの世に誕生させて生かしてくれていたのです。そして、この本当の自分の主人公である生命は、両親よりいただいたものです。両親もその両親よりいただき、さかのぼって考えると見えてくるように、この生命はこの地球上に生まれてより、親より子へと伝承され、自分まで生き続けて来たものです。また、自分より子孫へ永遠に生きようとしているものでもあります。

お釈迦さまは、このような生命として誕生した過去より、現在の自分、そして未来の子孫へと生きようとしている生命が、真実の自分だと悟りました。自分の生命は、三世十方の生命であると同時に、私の生命でもあるのです。

お釈迦さまは、この三世十方の生命のありようの中に、「人生の目的」を学びとられました。私たちは、生命を永遠に伝承するための生命の乗物としてこの世に生まれ、人間の場合、生命を曾孫(ひまご)たちに伝承するのを見届けると生きる場をゆずり、死して行くのです。つまり、生命を永遠に伝承することが、私たちの人生の目的なのです。この生命伝承の法則は人間ばかりでなく、全生物がすべて破(やぶ)ることなく、常に実践しているものです。ただ、人間は心を持った動物として、この生命の法則の枠内(わくない)で、自分の人生が許されています。ところが、現代人は、自分だけしか考えない自分勝手な人生観を持つようになりました。この自分中心の人生観が悲しい事件を起こしているのです。

お釈迦さまは、人生の目的は、生命を永遠に伝承することと、自分の人生を生きる二つがあると説き示されているのです。



(駒澤大学名誉教授)






常真寺 平成21年1月の

Photo Gallery




  月 火 水 木 金  土
 
* * * * 01 02 03
04 05 06 07 08 09 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

管理人の都合により
Photo Gallery の写真UPを
お休みさせて
いただいております。
暫くお待ちください。



 
【2月の法話】 「仏さまをまつり供養する」  2月1日

常真寺 住職 【緑蔭禅の集い 主幹】
  皆川 廣義


日本の仏教徒は、自分の菩提寺に本尊のお釈迦さま、仏教を私たちまで伝えてくれた祖師仏、私たちの先祖仏の三つの仏さまをおまつりしています。そして、花・灯明・食物・香などを供養し、朝夕お祈りをしてきました。

三つの仏さまのうち、御本尊のお釈迦さまは、仏像としておまつりし、祖師仏は仏像と位牌にしておまつりし、先祖仏は位牌と「仏名帳(過去帳)」としておまつりし、信仰しています。

仏教では、この仏さまの他に、その説かれた教えを仏法と呼び、経典として信仰しています。仏法は、お釈迦さまと祖師仏が説き示された教えで、経典として書籍になっています。代表的な経典は、インドの古代語であるパーリー語で書かれた南伝大蔵経と、漢字で書かれた漢訳大蔵経です。常真寺では、この南伝大蔵経と漢訳大蔵経(大正新脩大蔵経)を、本堂の裏にある書庫に収めてあります。この経典の解釈書もたくさんあり、それらもほとんどが書庫に収められてあります。

本堂で、私たちがお祈りする時は、この三つの仏さまとその教え経典に向ってお祈りをしていることになります。また経典は、法要の折に読誦(どくじゅ)いたします。

仏教では、この仏さまを四つの方法で、御供養しています。

一、妙色(みょうしき)供養(眼) これは、美しい花、灯明、荘厳で仏さまを讃歎し、供養することです。

二、妙味(みょうみ)供養(舌) これは、仏さまが生前、大好きだった食べ物や飲物を供養し、報恩の心を示すことです。

三、妙香(みょうこう)供養(鼻) これは、仏さまを讃歎し、荘厳するために、よい香りを供養することです。香の供養は、抹香と線香があります。昔は、香としては抹香の方が、線香よりよいものでした。今は、どちらにもよい香があります。抹香の代表は、沈香と白檀です。できるだけよい香を仏さまに供養したいものです。

四、妙音(みょうおん)供養(耳) これは、音楽で仏さまを讃歎し、荘厳する供養です。仏教ではこの供養音楽を「声明(しょうみょう)」といい、インドのものを梵唄、中国のものを漢讃、日本のものを和讃と呼んでいます。(りん)を鳴らすことも、この妙音供養となります。

本堂にまつられた本尊仏、祖師仏、先祖仏の三つの仏さま、それに本堂裏に収められた大蔵経は、外なる仏とその教えになります。

この仏さまと経典をおまつりし、四つの御供養をし、お祈りをすることにより、私たちの信心の中に仏さまと教えが内在化し、現成(げんじょう)してくるのです。この内在化し、信心の中に生きている仏さまと教えが、内なる仏とその教えになります。この内なる仏さまと教えは、私たちの信心の中に自分と共に生きているものです。この共生している内なる仏さまと教えの功徳が、私たちに共有されてくることにより、悟りと安心が生まれるのです。

この外なる仏さまへの祈りは、内なる仏さまを豊かにし、内なる仏さまへの祈りが、外なる仏さまを豊かにして信心の豊かな深まりが生まれ、人生の目的を悟り、生死の苦悩を解脱して安心が授かるのです。



(駒澤大学名誉教授)






常真寺 平成21年2月の

Photo Gallery




  月 火 水 木 金  土
 
01 02 03 04 05 06 07
08 09 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28

管理人の都合により
Photo Gallery の写真UPを
お休みさせて
いただいております。
暫くお待ちください。



 
【3月の法話】 「朝夕のおつとめ」  3月1日

常真寺 住職 【緑蔭禅の集い 主幹】
  皆川 廣義


今、どんなに幸せな人にも、まもなく老いの苦しみ、病の痛み、死の恐怖が、間違いなくおとずれてきます。

私たちは、老いや病に備えて生命保険や介護保険を積んだり、交通事故より自分を守るため、信号機などを設け、多くのお金をかけて、それらを防いでいます。このような努力で、ガンなどの病や交通事故を防ぎ、今の安らかな生活ができているのです。

ただ、自分に病や事故が起きるのは何パーセントでしかありません。ところが、自分の死は、百パーセントで避けることができません。この一大事に、私たちは何の準備もなく、ほとんどお金もかけていません。大変、不思議なことでもあるのです。

老いと病と死が自分に間近になってからではもう遅く、この一大事を解決することは難しくなります。

仏教を開かれたお釈迦さまは、この老いと病と死の恐怖からの解脱は、心をもった動物である私たち人間が、生涯をかけて取り組まなければならない問題であると説き示されています。

もの心がついた子どもの頃より、亡くなるまで生涯をかけて、老いの苦しみ、病の痛み、死の恐怖は自分の課題として取り組んで、解決すべき問題であるというのです。仏教は、この問題を解決して、人々に安心や生きがいをつくり出す文化です。

私たちのお寺は、その学びの場であり、老病死の苦悩を解脱して、悟りと安心を得る道場なのです。

寺のさまざまな行事に参加して、お釈迦さまの教えを学び、信仰し、菩提と涅槃行を実践して、すべての人々が人生の目的を悟り、生死の苦悩を解脱して安心と生きがいのある人生を、歩めるようにいたしましょう。

先ず、最初の学びは、お釈迦さまの生涯とその教えを学びましょう。住職は、この学びの教材として、『教主・釈尊の生涯とその教え』という本を書いています。この本をさし上げていますので、是非、読んで下さい。生涯、座右において読み続けて、お釈迦さまの人柄と教えを正しく理解していただきたいと思います。

次に、教主のお釈迦さまを正しく知っていただいた上に、お釈迦さまを信仰する人になって下さい。お釈迦さまは、菩提寺の本堂の中心におまつりしていますので、お参り下さい。また、檀家の仏壇にも、お釈迦さまの像をおまつりし、朝夕お参り下さい。まだ、お釈迦さまをおまつりしていない方は、今、寺にお釈迦さまの木像を用意していますので、お求めいただき奉祀して下さい。お参りするとき、「南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ)」と称名して、お祈りして下さい。

この称名の教材として、去年百六歳で亡くなられました大本山永平寺の宮崎禅師さまの揮毫した書を額表具し、寺に用意していますので、これも求めてお飾り下さい。

このように外におまつりしたお釈迦さまの生涯や教えを学び、それを朝夕礼拝供養することを通して、自分の信心の中にお釈迦さまをいだき内なるお釈迦さまをもつようにして下さい。私たちは、内なるお釈迦さまと共に生きる中に、はじめてお釈迦さまのすぐれた徳を共有させていただくことができるのです。



(駒澤大学名誉教授)




常真寺 平成21年3月の

Photo Gallery




  月 火 水 木 金  土
 
01 02 03 04 05 06 07
08 09 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 * * * *

管理人の都合により
Photo Gallery の写真UPを
お休みさせて
いただいております。
暫くお待ちください。



 
【3月(春彼岸)の法話】 「苦しみをのりこえる」  3月20日

常真寺 住職 【緑蔭禅の集い 主幹】
  皆川 廣義


仏教を開かれたお釈迦さまは、平和な時代の王家に生まれ、なに不自由のない恵まれた環境の中で成長され、苦しみもなく幸せな生活をされていました。

仏教では、このような生まれつき幸せな人を「天人(てんにん)」と呼んでいます。この天人が住んでいるところが「天国」です。お釈迦さまもはじめ、天国に住んでいました。世間の苦しみはなかったのです。しかし、天人は、長い人生の中で必ず「人間(にんげん)」、「修羅(しゅら)」、「畜生(ちくしょう)」、「餓鬼(がき)」、「地獄(じごく)」の五つの苦しみに直面することになるのです。

お釈迦さまも、二十代の後半になって、隣人の老病死の苦しみから、自分にも間もなくそのような苦しみが訪れることを悟らせられ、五つの苦しみに打ちのめされたのです。

このことからもわかるように、天国は、仏教者の願うところではないのです。仏教者の願うところは、五つの苦しみを解脱した仏国土(浄土)であります。

お釈迦さまは、死にたくない自分自身が死をつくるという矛盾や、生死の苦しみからの解脱を求めて、修行者(僧侶)となりました。六年の求道の後に、ブッダガヤの菩提樹下の悟りにより、この課題を解決し、人生の目的を悟り、生死の苦悩からの解脱道を発見されます。

お釈迦さまの悟りは、自分中心の世間の法(世法)によって生まれず、自分をつくっている生命のありよう(仏法)の中に生まれました。お釈迦さまの取り組まれた死の矛盾や生死の苦悩の解脱は、世法では解決できず、仏法によって解決できたのです。このことから、お釈迦さまは、心をもった動物である人間が生きていくためには、世法と仏法の二つが、誰にも必要であると説き示されています。

お釈迦さまは、生死の苦悩の世界(此岸)より、悟りと安心の世界(彼岸)への道として「六波羅蜜(ろくはらみつ)」(六度)①持戒、②精進、③禅定、④智慧、⑤忍辱、⑥布施の六つの道を説き示しています。「波羅蜜」はインドの言葉でパーラミタと言い、彼岸に至るという意味です。

この六波羅蜜(六度)が、お釈迦さまによって説き示された生死の苦悩をのりこえて、悟りと安心を得る道であります。六度は、悟りを得る菩提(ぼだい)行と安心を得る涅槃(ねはん)行の二つに分けられます。

悟りを得る行は、①日常生活を正しくする(持戒)、②お釈迦さまの教えを一生懸命に学ぶ(聞法精進)、③学んだことを深く考え、内在化して自分の智慧とする(禅定)、④自分の智慧としたものを、仏教者のグループ(サンガ)の中で、メンバーに語り、正していただき、メンバーに共通した普遍的な智慧とする(智慧)の四行で、これをくり返し実践することにより、智慧(菩提)を得ることができるのです。

安心を得る行は、①苦悩の原因である我執を捨てるために、苦しみに耐えて我執を滅する(忍辱)、②苦悩の原因である我執を捨てるために、自分の大切なものを他者にもらっていただき、我執を捨てる(布施)の二行で、これをくり返し実践することにより、安心(涅槃)を得ることができるのです。

この六度の実践により、仏教者は、苦しみをのりこえ、安心と生きがいを授かることができるのです。 



(駒澤大学名誉教授)






常真寺 平成21年3月の

Photo Gallery




  月 火 水 木 金  土
 
01 02 03 04 05 06 07
08 09 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 * * * *

管理人の都合により
Photo Gallery の写真UPを
お休みさせて
いただいております。
暫くお待ちください。



 
【4月の法話】 「自分の死後について」  4月1日

常真寺 住職 【緑蔭禅の集い 主幹】
  皆川 廣義


お釈迦さまは、人間が生きているうちにもつ死の矛盾や生死の苦悩からの解脱を求めて、宗教者(沙門)となり、修行されました。幸いにも、お釈迦さまは六年の求道の後に、ブッダガヤの菩提樹下で悟りを得て、その二つの課題を解決することができました。

お釈迦さまの悟りは、自分は生物であり、生物は生命の乗物であり、生命はこの地球上に生まれてより、生物を乗り換えながら自分まで生き続けてきており、また、子孫へ伝承されて永遠に生きようとしているものであると自覚されました。生命によってつくられているお釈迦さまが、自分の真実が生命であると自覚されたのであります。お釈迦さまのこの悟りにより生命が、自分が生命であることを全生物の中で初めて自覚することができたのであります。

お釈迦さまだけでなく、全ての人間、生物は、生命によってつくられたものであり、生命として同根であり、同事なるものなのです。

仏教では、このような全ての生物が生命同根であることを、「十方の生命」なる存在と呼んでいます。

また、生命は、最初の生物が生まれてより、親から子へと伝承され、自分まで三十数億年も生き続け、自分より子孫に伝承し、未来へ永遠に生きようとしているのであります。このように過去より現在へ、現在より未来へ生きようとしている生命のことを、「三世の生命」と呼んでいます。

つまり、お釈迦さまは、菩提樹下の悟りにより、自分の真実が「三世十方の生命」であると自覚されたのです。そして、お釈迦さまは、この三世十方の生命のありようの中に、死の矛盾を解決して人生の目的を悟り、生死の苦悩を解脱して安心と生きがいを得る道を発見されたのであります。

私たちは、お釈迦さまのこの教えをよく学び、坐禅行の中に、三世十方の生命なる自分を豊かに実感し、自分の当体(アイデンティティー)を自覚しなければなりません。自分の真実が三世十方の生命であることを自覚することにより、心の中に生まれている我(わたし)が、わたしなのでなく(無自性)多くの因縁により仮に我としてある(空)ものであることを悟ることができるのであります。

お釈迦さまの悟りの立場から見ると、私たちは。我(自分)を中心とした世間(世法)と、三世十方の生命を中心とした悟りの世界(仏法)の二つをもっていることになります。

自分を中心とした人は、母親の胎内に受精卵としてうまれ、自分の死によって無くなってしまいます。したがって、自分を中心とした世間だけで生きている人にとっては、死は受け入れ難いものであり、苦悩であり、恐怖となります。

しかし、三世十方の生命を中心として生きている仏教者は、自分の死後にも自分の生命と同じ子孫の生命の中に自分の生命が生き続け、また、お釈迦さまの教えにより、子孫は葬儀をして仏名をいただき、子孫の生命と信心の中に仏さまとして生き続けくれるのであります。仏教者の子孫は、朝夕の仏への供養を通して、自分の生命と信心の中に生涯生かし続け、この供養の営みを家の続くかぎり子々孫々続けることにより、私たち仏教者は久遠の仏となるのです。



(駒澤大学名誉教授)






常真寺 平成21年4月の

Photo Gallery




  月 火 水 木 金  土
 
* * * 01 02 03 04
05 06 07 08 09 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 * *

管理人の都合により
Photo Gallery の写真UPを
お休みさせて
いただいております。
暫くお待ちください。



 
【5月の法話】 「この世とあの世」  5月1日

常真寺 住職 【緑蔭禅の集い 主幹】
  皆川 廣義


仏教は、私たちの「この世」における死の矛盾を解決して人生の目的を悟り、生死の苦悩を解脱して、安心と生きがいをつくり出す道です。ただ私たち仏教者も、心を持った動物である人間ですから、自分の死後「あの世」について色々と考え、悩みをもっています。

お釈迦さまは、このような私たちのあの世に対する心を心配されて、死は自分の身と心の滅尽であり、苦悩の原因である煩悩も身心と共になくなり、完全な涅槃(安心)なのだと説き示されました。つまり、仏教者は、死を仏(悟りと安心を得たもの)と成ること、成仏と学びとり、信心を決定(けつじょう)するのです。仏教者は、死後に地獄に落ちて苦しむことはないのであります。だれも死後に往生するところは仏浄土(仏の国)なので、安心して下さい。

お釈迦さまは、この世における人生の目的を悟り、生死の苦悩からの解脱して安心を得るには、まず、①仏と②法と③僧伽(さんが)について学び、この三つの宝を信仰し、②法の示す通りに、生涯仏教者の僧伽の中で、菩提と涅槃の行(六度)の実践をすることによって得られると、説き示されています。

私たちは、まず、外なる仏と法と僧伽を学び、心にいだきます。仏は、菩提寺や仏壇にまつられた仏像や、先祖仏の位牌です。法は、それらの仏たちの教えである経典です。僧伽は、自分の参加している仏教を学ぶグループです。次に外なる仏・法・僧伽を自分の信心の中に内在化していただきます。記憶して、常に祈りを通して自分と共に心に生きていただくのです。

内なる仏・法・僧伽を豊かにするためには、外なる仏・法・僧伽を一生懸命に学び、記憶し、それに祈るということをなさねばなりません。内なる仏・法・僧伽が豊かになると、外なる仏・法・僧伽も豊かに受けられるようになります。そして、この外なるものと内なるものが相互に関係して、学びと信心を深化させてくれます。

このようにして、私たちはこの世において本尊のお釈迦さま、仏教を伝えてくれた祖師仏、生命を伝承してくれた先祖仏などの多くの仏を、自分の生命と信心の中に共に生きていただくことができるのです。この信心の中に共生している仏たちの功徳を、次に共有させていただく中に、自分の悟りと安心をいただくことができるのです。

私たちは、老い、病にたおれたとき、この内在化しているお釈迦さま、祖師仏、先祖仏たちと祈りを通して、豊かな対話をし、苦しみをのり越え、静寂で豊かなひと時をもつことができるのです。それが、仏教者の法悦であり、この法悦が生まれる世界が、仏浄土であります。

私たちは、死がおとずれて仏浄土に往生して成仏し、生き残った子孫たちが仏教の信仰もち続ける限り、子孫の生命と信心の中に新帰元し、先祖仏としていき続けることができるのです。

したがって、私たちは子孫たちに仏教の信仰を正しく伝承することが大切になります。これをおこたると、私たちのあの世はなくなってしまいます。私たちのあの世において、大切なことは、生き残った子孫が仏教の信仰をもち続けることによって、成仏が決定するということです。そして、子孫も成仏が同事に決定するのです。 



(駒澤大学名誉教授)






常真寺 平成21年5月の

Photo Gallery




  月 火 水 木 金  土
 
* * * * * 01 02
03 04 05 06 07 08 09
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 * * * * * *

管理人の都合により
Photo Gallery の写真UPを
お休みさせて
いただいております。
暫くお待ちください。



 
【6月の法話】 「生と死を考える」    6月1日
          
咲いた花をよろこび、
                 咲かせた思いを知る。
常真寺 住職 【緑蔭禅の集い 主幹】
  皆川 廣義


曹洞宗には、『修証義(しゅしょうぎ)』という明治時代に編纂された、平易な経典があります。

この修証義のはじめに、「(しょう)(あき)らめ、()(あき)らむるは仏家一大事(ぶっけいちだいじ)因縁(いんねん)なり。」という教えがあります。自分の誕生と人生最後の死を正しく知ることは、仏教者として最も大切な問題であるとの教えです。

一人前の大人になると、だれもが自分に生と死があることを知っています。しかし、人間は自分の誕生と死を具体的に正しく認識することができないのです。

自分がいつどこで生まれたかは、赤ちゃんであった自分には知り得ません。大きくなって親たちの話などで知っているのです。それは、自分の具体的な認識でなく、親たちの話を通して間接的に知っているだけなのです。

お釈迦さまは、このように自分の生と死に対するあいまいな認識を、正しく認識することが大切で、ここに仏教の原点があるのだと説き示されています。

自分の生(誕生)は、赤ちゃんの自分には知り得ないのですから、親たちの話や誕生を詳しく書いた本などを読んで、正しく認識しなければなりません。

このように生を正しく認識することを、現代では家庭においても、学校においても、自覚的に行なっていないように思います。お釈迦さまが説き示された、生と死を正しく認識しなさいという教えが学ばれていないのです。お釈迦さまは、人間はいつの時代でも、どこでも、生と死を正しく認識しなければ、人生の目的を正しく悟り、生死の苦しみを解脱して、安心と生きがいのある人生をつくることができず、苦悩し、争い、破滅への道を歩むことになると説き示されているのです。

人間は、誕生しても自分の力で成長することはできません(生理的早産)。両親はじめ家族や社会の人々の保育により成長できるのです。赤ちゃんのとき私は、一人で食事はとれず、サジで食べさせていただき、また、下の世話をしていただき成長してきたのです。食事をする時も、排泄の時も大変な世話を親たちにしていただいているのです。このようなことを、具体的に正しく認識することが生を知ることです。

また、私たちは、まもなく老い、病にたおれ、そして死してゆきます。この時に、大変な悩みと苦痛、それに恐怖がともないます。また、心がこわれて認知障害になり、周りの人々に大変な迷惑をかけることもあります。赤ちゃんの時と同じように、自分で歩むこともできなくなり、食事もサジで食べさせていただき、また、排泄物も他者に処理してきれいにしていただけないと生きて行けなくなるのです。このようなことを、具体的に正しく認識することが死を知ることです。

お釈迦さまの教えは、このような自分の生と死を正しく認識して、正しい人生の目的を悟り、生死の苦悩を解脱して安心と生きがいをつくり出す道であります。

また、お釈迦さまの教えにより、自分の生死の苦悩を解脱して安心や生きがいを得るためには、自分一人ではどうにもなりません。

菩提寺の修行仲間(寺サンガ)との学びの協力や、家族の人々(家サンガ)の協力があって、自分の苦悩を解脱して安心がさずかるのです。 



(駒澤大学名誉教授)






常真寺 平成21年6月の

Photo Gallery




  月 火 水 木 金  土
 
* 01 02 03 04 05 06
07 08 09 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 * * * *

管理人の都合により
Photo Gallery の写真UPを
お休みさせて
いただいております。
暫くお待ちください。



 
【7月の法話】 「人生の目的 何のために死ぬのか」    7月1日
         
常真寺 住職 【緑蔭禅の集い 主幹】
  皆川 廣義


お釈迦さまは、二十代の後半になって、なに不自由のない幸せな生活をしている時、身近な人々の老いや、病や、死の苦しみより、自分にもそのような一大事が間もなくおとずれることを自覚されました。幸せなお釈迦さまに、自分の死の自覚は深い苦悩をもたらしました。そして、自分の死を考えるなかで、自分自身一生懸命に死を避けて生きる努力をしている反面、一方で自分が死をつくっているという驚くべき矛盾を悟ります。

私たちは、この世に誕生した時から、病気や戦争などからは生命を守り、一生懸命に生きています。しかし、生まれた時から死ぬ条件を持って生きており、死をつくっているのです。つまり、私たちは、一瞬一瞬生きることと死ぬことを実践しているのです。

お釈迦さまは、自分はどうして一生懸命に生きようとし、また、死のうとしているのかと、自分のもつ死の矛盾を自覚されたのです。そして、私たちは、何のために生まれ、生きて、最後に死んで行くのか、つまり、人生の目的を明らめたいと決心されました。近代フランスの画家ゴーギャンは、同じような心境を持ち、これを課題とした絵をタヒチ島で描かれています。その作品が七月三日より東京国立近代美術館に、アメリカのボストン美術館より出品されますので、是非皆さんにも鑑賞していただきたいと思います。

お釈迦さまは、国王への道を捨て、沙門という宗教修行者になり、六年の求道の後に、ブッダガヤの菩提樹下での悟りにより、この課題を解決されました。お釈迦さまの悟りは、自分が生物であり、生命であると自覚し、自分の「生命の実相」のなかに、人生の目的を悟られたのであります。

私たちの生命は、私個人だけのものでなく、この地球上に三十数億年前に生まれてから、親より子へと伝承されて生き続け、そして子孫へ永遠に行き続けようとしているものなのです。つまり、時間的には過去より現在、現在より未来へ生きようとしている三世の生命です。また、空間的には生命は、地球上の全て生物をつくり出しているもので、十方の生命でもあります。私たちは、三世十方の生命であり、全生物は、「同事」なるものであります。お釈迦さまは、この三世十方の生命のありよう(真如)のなかに、人生の目的を学びとられたのであります。

生命は、生物を乗物としています。生物は物質によってできています。物質は時が経つとどんな堅固なものでも壊れます。したがって、生物は永遠の乗物にはなれません。そこで、生命は、生物を乗りかえて三十数億年生き続けてきたのです。また、物質によってつくられている生物は、生きるために空間が必要となります。人間も生きるためには住む所、食べ物を作る所を必要とします。現生人類は、六十数億人いるのですが、この人達が死なないで生き続けると七年半で、地球上の陸地は人間だけでいっぱいになってしまい、人類は絶滅します。このような生命の実相をふまえて、生物は生命を次の世代に伝承すると自ら死して、生きる場所を子孫にゆずり、地球という限られた空間で永遠にいきる道を歩んでいるのです。この生命の法則を全生物は守っているのです。

私たち生物は、生命を永遠に伝承しようとするために生まれ、生き、死して行くのです。そして、死ぬことを通して、子孫の生命に永遠に生き続けるのです。



(駒澤大学名誉教授)






常真寺 平成21年7月の

Photo Gallery




  月 火 水 木 金  土
 
* * * 01 02 03 04
05 06 07 08 09 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 *

管理人の都合により
Photo Gallery の写真UPを
お休みさせて
いただいております。
暫くお待ちください。



 
【8月の法話】 「お盆の迎え火」    8月1日
         
常真寺 住職 【緑蔭禅の集い 主幹】
  皆川 廣義


仏教では身近な人が亡くなりますと、菩提寺の住職が司祭して葬儀を行います。そして、お釈迦さまより仏さまの名前(法名)をいただき、人間より仏さま(悟りと安心を得た人)になっていただきます。

葬儀をして仏さまになると、悟りと安心を得て人間のときのように苦しむことはありません。ただ、仏さまは、残してきた私たちのことを色々と心配しています。ですから、私たちは仏さまの教えを信じ、実践して幸せになり、仏さまの心配を取りのぞかねばなりません。

仏教では、亡くなって仏さまになった方を、菩提寺と仏壇とお墓の三か所に、仏さまの名前を記しておまつりします。私たち仏教者は、亡くなると仏さまになり、菩提寺と仏壇とお墓にまつられるのです。決して天国に行くのでもなく、草葉のかげに行くのでもありません。

この三か所にまつられた仏さまは、外なる仏さまです。お釈迦さまは、外なる仏さまへの礼拝供養することを通して、自分の生命と信心の中に外なる仏さまをお呼びして内在化し、内なる仏さまとしていだいていきなさいと説き示しています。
つまり、仏教では、外なる仏さまと内なる仏さまの二つの仏さまをもっているのです。外なる仏さまを荘厳し、礼拝供養することにより、内なる仏さまも同時に荘厳し、礼拝供養され、豊かになります。また、内なる仏さまが豊かになると、外なる仏さまをより美しく荘厳し、供養するようになります。このようにして、外なる仏さまの供養と内なる仏さまの供養が、相互に関係しながら、私たちの信仰が深まっていきます。

信仰が深まってくると、自分の生命と信心の中に、仏さまが共に生きていただくことになります。共生していただいている仏さまは、自分もよく知った仏さまとなり、仏さまも自分をよく知っていただくことになります。このような心の関係が生まれるから、祈りを通して、仏さまに色々と相談したり、助けを求めたとき、仏さまは適切に手助けしていただけるのです。

私たちは、信仰を通して仏さまと共生する中に、仏さまの功徳を共有させていただいくことができるのです。そして、仏さまより、悟りと安心がさずかるのです。亡くなった方が、葬儀を通して仏さまになるということは、私たちの信心の中に、仏さまとの共生・共有が生まれることなのです。

仏教では、私たしたちの信仰の中に仏さまの共生、共有を作りだすために、まず、外なる仏さまをおまつりします。また、常に菩提寺におまいりし、仏壇におまいりし、お墓におまいりすることを通して、内なる仏さまを豊かにするのです。

お盆のとき迎え火を焚いてお迎えするのは、このように、外にまつり、内にまつっている私たちの仏さまをお迎えするのではありません。真の仏教者には、自分の仏さまは常におまつり、礼拝供養しているから、お迎えする必要がないです。お盆のとき迎え火を焚いてお迎えする仏さまは、子孫がいなくなって無縁になった可哀想な仏さまたちを、年に一度自分の仏さまをまつるところにお呼びして、共に礼拝供養するためであります。

お盆は、自分の仏さまと、無縁になった仏さまを、年に一度、共に御供養、礼拝する慈悲の法事です。



(駒澤大学名誉教授)






常真寺 平成21年8月の

Photo Gallery




  月 火 水 木 金  土
 
* * * * * * 01
02 03 04 05 06 07 08
09 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 * * * * *

管理人の都合により
Photo Gallery の写真UPを
お休みさせて
いただいております。
暫くお待ちください。



 
【9月の法話】 「仏さまの供養」    9月1日
         
常真寺 住職 【緑蔭禅の集い 主幹】
  皆川 廣義


お盆の迎え火と送り火は、無縁になって子孫に供養していただけないかわいそうな仏さまたちを、年に一度お盆のときに、お迎えして自分たちの先祖仏と共に供養するためにたく火であります。

そしてこの無縁仏への思いやりは、『盂蘭盆経』に語られているように、お釈迦さまが、舎利弗(しゃりほつ)の母が自分の子だけを思う小さな愛によって苦しまれているのを見て、舎利弗の母にすべての子どもへの大いなる愛の実践を示して、苦しみを救われた因縁によるものです。

私たち仏教者は、毎日、朝夕に仏壇におまいりし、本尊のお釈迦さまと祖師仏と先祖仏の三つの仏さまに、ローソクをともし線香をたき、供物をお供えして御供養申し上げているのです。この大切な行持(ぎょうじ)は、必ず実践していただけるようお願い申し上げます。

外なる仏壇の仏さまを毎日おまいりし、御供養することが、私たちの信心の中の内なる仏さまの食べ物となり、仏さまが行き続けられているのです。外なる仏さまへの御供養がなくなると、信心の中の内なる仏さまは生きていられなくなり、亡くなってしまいます。そうなりますと私たちと仏さまは、共に生きられなくなります。そして、仏さまに祈りにより語りかけても返事をしていただけなくなります。信心の中に仏さまとの共生がなくなると、仏さまの功徳を共有させていただけなくなり、仏さまの智慧や生きる力などをいただけなくなるのです。

また、私たちの御先祖さまは、亡くなりますと、お釈迦さまの教えに基づいて葬儀を行い、お釈迦さまより仏さまの名前(法名)をいただいて、先祖仏となります。葬儀のとき、お釈迦さまより九十三代目の僧である私が、お釈迦さまに代わりまして、葬儀を厳修し、法名を授けさせていただいています。常真寺住職である私のもとで葬儀をして仏さまとなられた方は、お釈迦さまより九十四代目の仏さまとなります。このことは、お骨壷に入れる『血脈』にきちんと記してあります。

葬儀をして仏さまになられた方は、まず、菩提寺にまつられます。次に、各家の仏壇にまつられます。それに、亡くなった人が唯一残されたお骨を仏舎利(ぶっしゃり)としてお墓に塔を建ててまつります。つまり、亡くなって葬儀をして仏さまになった方は、菩提寺と仏壇と石塔の三か所にていねいにまつられているのです。

この三か所にまつられた外なる仏さまへのおまいりも、常にしていただきたいと思います。この外なる仏さまのおまいりが、私たちの信心の中の内なる仏さまを豊かにしてくれて、仏さまとの共生が生まれ、多くの仏さまの仏徳を私たちが共有させていただくことになり、智慧と生きる力を授かるのです。

また菩提寺は、葬儀をして仏さまとなられた方を末永くまつる場であります。寺が続くかぎり葬儀をして仏となった方々を、朝夕の法要で御供養いたします。

菩提寺では、お預かりしている仏さまは、供養する子孫の人たちがなくなっても、寺のあるかぎり御供養申し上げます。

この菩提寺の仕事を支え続けるために、檀信徒の皆様より、お布施をいただいておるのです。



(駒澤大学名誉教授)




常真寺 平成21年9月の

Photo Gallery




  月 火 水 木 金  土
 
* * 01 02 03 04 05
06 07 08 09 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 * * *

管理人の都合により
Photo Gallery の写真UPを
お休みさせて
いただいております。
暫くお待ちください。



 
【9月(秋彼岸)の法話】 「布施における自利(じり)利他(りた)    9月20日
         
常真寺 住職 【緑蔭禅の集い 主幹】
  皆川 廣義


仏教は、お釈迦さまによって開かれた宗教です。お釈迦さまは、今から二千五百年前のインドの釈迦国の皇太子として生まれました。平和な時代でしたので、お釈迦さまは物質的にも精神的にもめぐまれた環境の中で、幸せに生活されていました。しかし、お釈迦さまは、二十代の後半にどんな幸せな人にも、まもなく老い、病にたおれて死して行くという一大事があることを自覚しました。死にたくないと一生懸命に生きている自分が、一方で老いをつくり、病をつくり、最後に死をつくって自分を無化していることを自覚されたのです。また、お釈迦さまは、自分は何のために生まれ、老い、病にたおれ、死して行くのか。人生の目的は何なのか。そして、死苦をどうしたら解脱して、安心を得ることができるのかと考えました。

お釈迦さまは、この人生の目的を悟り、死苦の解脱を得るために国王への道を捨てて、僧侶となり求道されました。お釈迦さまは、六年の求道の後に、ブッダガヤの菩提樹下で坐禅されていたときに、大いなる悟りを得てこの二つの課題を解決しました。

お釈迦さまは、この人生の目的を悟り、死苦を解脱して安心を得る道として、三帰依の教えと四諦の教えを説き示しています。

三帰依説は、お釈迦さま(仏)を信じ、その教え(法)を信じ、自分の属している寺の仲間(サンガ)を信じて、教えを学び、仏行を実践する中に悟りと安心が得られると説いています。

四諦説は、すべての人に死の苦しみがあり(1苦諦)、その死の苦しみは自分の心の中にある無明と煩悩を原因として生まれる(2集諦)。そして、無明を滅する菩提行の実践により、悟り(智慧)が得られて、人生の目的を悟り、解脱道をしることができる(3道諦)。また、死苦の原因である煩悩を滅するために、涅槃行の実践をして安心を得る(4滅諦)と説き示しています。

また、お釈迦さまは、この菩提行と涅槃行の実践を六度として説き示されています。それは、1、正しい生活をする(持戒)。2、聞法精進する(精進)。3、坐禅省察する(禅定)。4、対話し普遍智とする(智慧)。5、死苦の原因である煩悩を滅するために忍辱行を実践して安心を得る(忍辱)。6、同じく煩悩を滅するために布施行を実践して安心を得ることであります(布施)。

仏教の布施は、死苦の原因である煩悩を滅して安心を得るための行であります。自分の大切な心や物には煩悩が色こくついています。それを他者にもらっていただくことによって捨て、安心を得るのです。

ですから、布施は、すべての仏教者が自分の安心を得るために行じるものであります。ただ、その施物をいただいた人は助かりますので、利他行にもなるのです。つまり、仏教の布施は自分の安心を得るためにする自利行ですが、それは、布施をいただく者にとって利他行ともなり、自利と利他の二重構造をもった行であるのです。お坊さんの説法、葬儀などの司祭は自利の布施として行じるものです。しかし、信者の人はそれにより悟りと安心を得られるので利他行として受けとるのであります。信者の僧への布施は、自利の布施、つまり自分の煩悩を滅して安心を得るために行ずるものであります。しかし、僧侶や寺ではそれにより、寺を護持し、仏さまへの供養、伝道活動ができることになり、利他行として受け取ります。

自利・利他の二つが円満したすばらしい行が、仏教の布施行であることを正しく理解し実践しましょう。



(駒澤大学名誉教授)






常真寺 平成21年9月の

Photo Gallery




  月 火 水 木 金  土
 
* * 01 02 03 04 05
06 07 08 09 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 * * *

管理人の都合により
Photo Gallery の写真UPを
お休みさせて
いただいております。
暫くお待ちください。



 
【10月の法話】 「入信得度のすすめ」    10月1日
         
常真寺 住職 【緑蔭禅の集い 主幹】
  皆川 廣義


現代の日本仏教徒は、自覚して入信し、得度することが少ないように思います。生まれたときより、菩提寺の檀信徒として自然に仏教に入信していると考えております。したがって個人が自覚して、教主のお釈迦さまの生涯と教えを学び、発願して入信し、聞法修行して、悟りと安心の道を得るということがありません。

しかし、お釈迦さまの教えは、各人が自覚して仏さまの生涯と教えを学び、その上で仏さまを信仰し、悟り(菩提)行と安心(涅槃)行を実践して、人生の目的を悟り、生死の苦悩を解脱して安心を得る道であります。

この法話も、皆さんが、自分の死の矛盾を自覚して人生の目的を悟ることと、死の恐怖を解脱して安心を得ていただきたいために書いています。お釈迦さまの取り組まれた二つの課題は、すべての人にある矛盾であり、苦悩であるので、是非、皆さんもお釈迦さまの教えによって、悟りと安心を得ていただきたいと願っております。

常真寺の伝道活動では、教主であるお釈迦さまの生涯や教えを伝えるために『教主釈尊の生涯と教え』『常真寺便り』などを刊行したり、日曜法話・一泊参禅会、法要の折などにお釈迦さまのお話をさせていただいています。また、お釈迦さまのインドの聖地を毎年春に巡礼しています。多くの皆さんが、これらの活動に積極的に参加して、まず、仏さまのことをよく知っていただきたいと思います。

皆さんが常真寺の伝道活動などに参加し、聞法修行していただき、お釈迦さま、祖師仏、先祖仏などの仏さまを信仰していただくようになったら、『入信得度(授得度)式』を実施したいと思っています。これからは、五年に一度の割合で、入信得度式ができればと念じています。お釈迦さまの生涯と教え(三帰依と六度の実践)を学び、生涯仏さまを信じ、教えを実践して、自分の人生の目的と生死の苦悩を解脱して、安心を得たいと願う人には、入信得度を受けていただきたく思います。

入信得度式では、仏さまの名前(法名)を授与させていただきます。現住職は、お釈迦さまより九十三代の僧ですので、私の入信得度式で仏さまの名前をいただいた方は、九十四代目の仏さまになります。また、一生御使用いただく輪袈裟と念珠も授与します。

願いは、檀信徒の方々が、二十歳になったら全員入信得度するようになっていただきたいことです。そして、入信得度した家族の人達で仏教を信じる人のグループ『サンガ』を形成していただきたいと思います。この家サンガの皆さんで、朝夕の仏壇へのおまいり、菩提寺、墓へのおまいり、法要などを実施して下さい。

常真寺サンガ(住職・寺族・檀信徒会(総代・世話人)・各会のメンバー)は、各家庭のサンガと連携して活動を展開していきたいと思います。この家サンガの活動は、各個人の悟りと安心をつくるだけでなく、必ず各家の子孫繁栄や家門の興隆をもたらすことにもなります。

皆さんが、自覚して入信得度し、家サンガと寺サンガ活動に参加することにより、現代の家族崩壊をのりこえて、自分の安心や生きがいをつくっていただきたいと念じています。



(駒澤大学名誉教授)






常真寺 平成21年10月の

Photo Gallery




  月 火 水 木 金  土
 
* * * * 01 02 03
04 05 06 07 08 09 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

管理人の都合により
Photo Gallery の写真UPを
お休みさせて
いただいております。
暫くお待ちください。



 
【11月の法話】 「信仰・外なる仏と内なる仏」    11月1日
         
常真寺 住職 【緑蔭禅の集い 主幹】
  皆川 廣義


久しぶりに、歌謡曲『瞼(まぶた)の母』を涙して聞きました。この歌は、幼いときに母と別れた主人公忠太郎が、母を訪ね歩き、やっと母に逢ったが、その母は、やくざに身を落とした忠太郎を我が子と認めることができないのです。悲しみに打ちひしがれた忠太郎は、泣きながらまぶたを閉じて、自分の心の中には優しい母がいることを悟るという物語です。

心をもつ人間は、外なる世界と内なる世界をもって生きています。忠太郎は、幼いときの母の思い出を心の中に内なる世界としてもって、遠いところに別れ住む母をさがし、やっと逢えたのです。内なる母が、外なる母をさがし出したのに、外なる世界の母に子と認めてもらえず、忠太郎は絶望したのです。しかしこの絶望の中より、心の中に内なる母を見出し、この母とまぶたをつぶり対話する道をつくり出し、強く生きてゆくのです。最後の「おっ母(か)さーん」という叫びは、内なる母への呼びかけです。

私たち仏教徒も外なる世界に生きていた身近な人が亡くなり、もう会って話すことができなくなった悲しみの中に、お釈迦さまの教えにもとづき葬儀をし、内なる心の世界に亡き人を仏さまとして再生し、生涯この内なる世界にいる仏さまと祈りを通して対話することにより、悲しみをのりこえ、安心と生きがいをつくり出しているのです。

人間には、外なる世界だけでは生きてゆけない悲しみがあり、内なる世界をもつことによりそれをのりこえ、安心と生きがいをつくり出す豊かな心があるのです。

お釈迦さまは自分の死により、僧や信者たちが自分と対話のできなくなる悲しみをのりこえるため、自分の死後は、僧や信者たちの内なる心の世界に自分を再生し、対話のできる道を私たちに説き示されています。

この教えにより私たち仏教徒は、二千五百年前に亡くなってもう外なる世界に生きていないお釈迦さまを、自分の信心の中に再生して供養することにより、生きていたときと同じようにお釈迦さまと対話をすることができるのです。

また、お釈迦さまも二千五百年前のクシナガラでの死より、いつもすべての仏教徒の信心に再生して、生き続け、久遠(くおん)の仏へとなられたのです。

私たちすべての仏教徒も同じように、死してお釈迦さまの教えにもとづいた葬儀をすることにより仏となり、子孫の生命と信心の中に生き続け、久遠の仏となることができるのであります。

私たちは、死の矛盾をのりこえ、人生の目的を悟り、生死の苦悩を解脱して安心や生きがいをつくるため、お釈迦さま・自分に親しい祖師仏・先祖仏の生涯や教えを学び、心の中に内在化し、この多くの仏さまたちと共に生き、供養をし、祈りを通しての対話をする中に、仏さまたちのもっている徳を共有させていただき、自分の悟りと安心をさずかります。

私たち仏教徒の内なる仏さまの世界が、外なる菩提寺の本堂や仏壇に仏たちとして具現され、この外なる仏たちに祈ることを通して、また私たちの心の内なる仏たちが、豊かになります。



(駒澤大学名誉教授)






常真寺 平成21年11月の

Photo Gallery




  月 火 水 木 金  土
 
01 02 03 04 05 06 07
08 09 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 * * * * *

管理人の都合により
Photo Gallery の写真UPを
お休みさせて
いただいております。
暫くお待ちください。



 
【12月の法話】 「お釈迦さまの成道」    12月1日
         
常真寺 住職 【緑蔭禅の集い 主幹】
  皆川 廣義


お釈迦さまは二十九歳のとき、隣人の死にゆく苦しみを見て、幸せだと思っている自分にもこのような一大事があることを悟りました。自分の老いと病と死の苦しみが、隣人の老病死の苦悩より自覚させられたのです。

お釈迦さまは、人はなぜ生まれ、なぜ死ぬまで一生懸命に生きようとしているのに、一方で自ら死をつくるのか。人生の目的は何なのか。そして、どうしたら死の恐怖を乗りこえて安心を得ることができるのかと、深く考えられました。この課題を解決するために、国王への道を捨てて、樹下石上に生活して求道する沙門という宗教者になられました。

幸いにも、苦行などのきびしい求道をされた後に、十二月八日の朝、ブッダガヤの菩提樹下の坐禅行中に、大いなる悟り(菩提)を得て、この課題を解決され、成道したのです。

お釈迦さまの悟りは、「自分は、三世十方なる生命」であるという自覚でした。

人間は、心をもった動物です。お釈迦さまは、初めこの心をもった動物のレベルで問題解決の道を模索されたのですが、解決できませんでした。

しかし、苦行の極みで、農夫の歌より悟った苦楽の中道行を行い、元のような身心に回復し、身心に生命力が満ちあふれるような状態の中、自分は心をもった動物であると同時に、生物であり、生物は生命の乗物でもあることを自覚され、三世十方の生命であると悟られたのです。

平常、私たちは自分が生命を持っていると考えていますが、本当は生命が、自分を持っていてくれているのです。正常の私たちは、時間的には現在を中心に、空間的には自分の立場より一方的に考えているので、自分が生命を持っていると思うのです。しかし、時間的に過去・現在・未来の三世、空間的に十方より考えると、それが正しい認識でなかったことに気付きます。

例えば、自分の両親の生まれる前に、自分の身心はありません。また、死んだ後も自分の身心はありません。無いものが今あるのは不条理であり、あるものが無くなるのも不条理です。過去にあり、現在にもあり、未来にもあるべきものは、自分ではなく、自分の中にある生命なのです。

この自分の生命は、時間的にはこの地球上に生まれてより自分まで、親から子へと伝承されてきたものであり、また子孫へ伝承されようとしているものです。この過去より現在、現在より未来への生命の流れを仏教では「三世の生命」と呼びます。また、空間的にはすべての気球上の生物もつくっているものでもあります。このすべての生物をつくっている生命を仏教では、「十方の生命」と呼んでいます。

お釈迦さまは、この自分の「三世十方の生命」のありようの中に、なぜ、人は生まれ、そして死ぬのかという人生の目的を教えられ、また生死の苦悩からの解脱道を発見されるのです。

お釈迦さまの教えを学ぶことを通して、自分の三世十方の生命を自覚し、人生の目的を悟り、生死の苦悩を解脱して、安心と生きがいをつくりましょう。



(駒澤大学名誉教授)





常真寺 平成21年12月の

Photo Gallery




  月 火 水 木 金  土
 
* * 01 02 03 04 05
06 07 08 09 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 * *

管理人の都合により
Photo Gallery の写真UPを
お休みさせて
いただいております。
暫くお待ちください。










当ホームページはリンクフリーです。
バナーは下のものをコピーしてお使いください。
リンク先は「http://ryokuinzentudoi.web.fc2.com/」にお願いします。


下記はレンタルサーバーの広告です。当サイトで掲示しているものではありません。ご了承ください。
inserted by FC2 system