Ryokuyin Zen Sangha

法話&Photo Gallery 【喫茶去】
喫茶去とは?

平成20年の法話
【1月の法話】生命のことばを聞こう 【7月の法話】 「これから先祖仏は
【2月の法話】仏さまへの御供養 【8月の法話】 「永代供養について」
【3月の法話】 回向としての供養 【9月の法話】 「彼岸(ひがん)への(みち)
【3月(春彼岸)の法話】 彼岸に往きて 【9月(秋彼岸)の法話】 「彼岸(ひがん)への(みち) 2」
【4月の法話】 お釈迦さまの誕生 【10月の法話】 「信心を深める」
【5月の法話】 お仏壇について 【11月の法話】 「突然の死」
【6月の法話】 般若心経の教え 【12月の法話】 「生命のことばを聞く」

 
平成20年 【1月の法話】 生命のことばを聞こう    1月1日

常真寺 住職 【緑蔭禅の集い 主幹】
  皆川 廣義


仏教は、生命のことばより、人生の目的を悟り、生死の苦悩からの解脱道を発見した宗教です。

仏教を開かれたお釈迦さまは、二十代の後半までは、平和な時代に王族として幸せに生活していました。母の国より妻ヤショダラーを迎え、長男ラーフラも誕生して幸せいっぱいでした。

そんなお釈迦さまが、二十代の後半になって、身近な人々の老病死の苦悩より、幸せな自分もまもなく、あのように老い、病にたおれて苦悩にたえ、そして死の恐怖におののきながら死して行くことを教えられるのです。

隣人の老病死苦より、自分の老病死苦を悟られたお釈迦さまは、今までの幸せが一挙に消え去り、深い苦悩に打ちのめされてしまいました。

しかし、お釈迦さまは、深い生死の苦悩のなかから、なんとかしてこの苦悩を解脱して安心を得たいと必死の求道をはじめられます。

当時のすぐれた宗教者を訪ねて、生死の苦悩から解脱する道を学びました。しかし、お釈迦さまが満足できる教えを示してくれる宗教者はおりませんでした。

そこで、お釈迦さまは、みずから国王への道を捨てて、宗教者になりました。

お釈迦さまは、樹下石上、三依一鉢の生活をして求道する沙門(しゃもん)という宗教者になりました。王宮で生活していたお釈迦さまにとって、沙門としての求道は、大変きびしいものでしたが、それよりも深い苦悩があったから、それに耐えて求道されたのです。

私たちにも同じ苦悩がいつかおとずれるのを忘れてはなりません。

お釈迦さまは、六年の求道の後に、ブッダガヤの菩提樹下の坐禅中に悟りを得、出家求道の課題を解決されました。

悟りの内容は、自分の本当の主人公は、「生命(いのち)」であるとの自覚です。自分は、心をもった動物である人間であり、人間は生物であり、生物は生命の乗物であって、まことの自分は生命であると悟られました。

生命は、この地球上に生まれてから、個としての生物を乗物として、親より子へと伝承して自分まで生き続けてきました。そして子孫へ永遠をめざして生きんとしています。つまり、生命は過去より現在へ、現在より未来へ生きんとする営みをもっています。仏教では過去・現在・未来を三世(さんぜ)と呼びます。つまり、私たちの生命は、「三世(さんぜ)生命(いのち)」であります。

また、すべての生物は、同じ生命によって生まれています。すべての生物が生命同根であり、「同事(どうじ)」なるものであります。つまり、「十方(じっぽう)生命(いのち)」にもなります。

私たちは「三世十方の生命」であるのです。この三世十方の生命のありようのなかに、お釈迦さまは、出家求道の課題であった人生の目的を悟り、生死の苦悩からの解脱道を発見されたのです。

仏教者は、お釈迦さまの教えにより、自分の生命の実相が語ることばのなかに、人生の目的と生死の苦悩からの解脱道を聞いていくのです。

(駒澤大学名誉教授)






常真寺 平成20年1月の

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【2月の法話】 (ほとけ)さまへの()()(よう)  2月1日

常真寺 住職 【緑蔭禅の集い 主幹】
  皆川 廣義


仏教を開かれたお釈迦さまは、二月十五日インド・クシナガラのサーラの林の中において八十歳で亡くなりました。

お釈迦さまは、出家求道して六年の後に、三十五歳の時ブッダガヤの菩提樹下で悟りを得、人生の目的と生死の苦悩からの解脱道の道を発見されました。

それから、四十五年間、樹下石上、三衣一鉢の質素な生活をしながら、悟られた人生の目的と生死の苦悩からの解脱道を各地を遍歴しながら人々に説き示されました。

特に、八十歳になった最後の伝道は、老いや病を通しての大変苦しい旅でありました。ヴェーサーリーで大病をされ、老いと病に苦しみながら、説法の旅をし、クシナガラのサーラの林で歩むことができなくなり、亡くなりました。

お釈迦さまは、従者のアーナンダに「このサーラ樹の間に頭を北に向けて床をつくってくれ。私は疲れた。横になりたい。」と語り、右脇を下にし、足の上に足を重ね、心静かに横になられました。

その時、サーラの林は、時ならない花をいっせいに開かせ、花びらがお釈迦さまのからだに散りかかりました。また、天の華や香が虚空より、お釈迦さまのからだにおりてきました。また、天の妙なる音楽が虚空より鳴り響いてきました。それらは、みなお釈迦さまの八十年の御生涯とその教えを讃嘆し、喜び、供養するためでした。

またその時、お釈迦さまは従者のアーナンダに「このような供養はありがたいが、もっとありがたい供養がある。それは、僧たちも信者たちも、私の教えを学び、信じ、行ずることによって悟りと安心を得ることが、もっともありがたい供養である。」と語られました。

仏さまへの供養は、花・香・食物などの供養だけでなく、私たちが仏さまの教えを学び、信じ、実践して悟りと安心を得ることが、何よりの仏さまへの供養であると説き示されているのです。

私たちは、仏壇に毎日、花を飾り、食物をあげ、香をたいて、先祖仏への感謝、報恩の供養をしています。

お釈迦さまは、そのような供養だけでなく、先祖仏・祖師仏・釈迦仏の教えを学び、信仰し、実践して、人生の目的を悟り、生死の苦悩を解脱して、安心と生きがいを得ることが仏さまの一番うれしい供養だと語られているのであります。

お釈迦さまは、信仰することによって、悟りと安心を得て、幸せになることが、仏さまの一番うれしい供養であると言っているのです。仏さまは、仏さまへの供養を通して、仏教の教えにふれ、信仰することにより、返照して供養者自身が幸せになることを一番望んでおられるのであります。

私たちの先祖仏は、みな子孫の幸せと繁栄を願われ、それが達成されることが、一番うれしいのであります。先祖仏が、心より喜ばれる供養を常に行じていきたいと思います。

先祖仏も喜び、同時に供養者である私たち自身が、幸せになる供養を、自覚的に行じましょう。

(駒澤大学名誉教授)






常真寺 平成20年2月の

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【3月の法話】 回向(えこう)としての()(よう)  3月1日

常真寺 住職 【緑蔭禅の集い 主幹】
  皆川 廣義


季節も日々暖かくなり、春のお彼岸も近くなってきました。仏教の「彼岸」という言葉は、苦しみの此岸より、安らかな彼岸に行くという意味です。

仏教徒は、草木が芽吹き、花が咲きにおう好時節に、お釈迦さまの教えを学び、信仰を深めるお彼岸の行事をもっているのです。

お彼岸には先祖仏をまつる菩提寺や墓におまいりし、各家の仏壇を掃除して美しい花をそなえ、よい香をたいて、報恩感謝、讃仏の祈りをしましょう。

お釈迦さまは、このような仏さまへの供養は、ひるがえって供養者自身の悟りと安心をつくってくれると説き示しています。私たちのまごころをこめた仏さまへの供養が、自分の心に仏さまを共生させていただき、共生していただいた仏さまが、その智慧や安心を私たちに共有させてくれて、悟りと安心が生まれるのです。この仏さまへの供養がひるがえって、供養者へもたらされることを仏教では「()(こう)」と名づけています。

私たちより仏さまへ回向された供養が、同時に仏さまより私たちへ悟りと安心を回向していただくという不可思議が生まれるのです。仏教の回向は、私たちと仏さまの交流を意味する大切な言葉です。

私たちの仏さまへの供養は、回向としての御供養になっていることを、よく自覚していただきたいと願っています。

また、菩提寺、お仏壇、お墓にまつられた外なる仏さまへの私たちの御供養は、回向されて、私たちの心の中の内なる仏さまへの供養にもなります。外なる仏さまへの供養が回向されて、内なる仏さまへの供養となり、私たちの生命と心の中に生涯、仏さまが共生していただくことができるのです。そして、仏さまがもっている功徳(悟りと安心)を私たちも共有させていただけるのです。このように仏さまよりされた回向で、私たちの悟りと安心が生まれるのです。

仏さまへの御供養をするには、先ず、私たちが仏さまの生涯や仏さまの教えを正しく理解しなければなりません。

仏教を開かれたお釈迦さま、それを私たちまで伝えてくれた祖師仏、それに私たちの先祖仏の生涯とその教えを学ばねばなりません。僧(伝道師)のお話を聞いたり、本を読んだり、ビデオなどを見たりして、仏さまの生涯と教えを学びましょう。学びの場は寺であり、常真寺でも色々な行事を開いています。

仏さまの生涯や教えをよく学んだら、自分の心の中に仏さまにおいでいただいて、生涯自分と共に生きていただきます。共に生きていただくために、御供養を毎日するのです。

この自分の心の中に共生していただいている仏さまと祈りを通して、対話ができるようにしましょう。自分の悲しいことを仏さまにお話し、仏さまよりその悲しみをのりこえる道を教えていただきましょう。また、自分の喜びを仏さまにお話し、仏さまと喜びを共有しましょう。

このような仏さまと祈りを通して対話する中に、仏さまより悟りと安心と生きがいをさずかることができるのです。

(駒澤大学名誉教授)
【3月(春彼岸)の法話】 彼岸(ひがん)に()きて  3月20日

常真寺 住職 【緑蔭禅の集い 主幹】
  皆川 廣義


私たちの曹洞宗で、日常より読むお経に、『般若心経』があります。

この般若心経の最後のところに、次のような文章があります。

「往きて、往きて、彼岸に往きて、彼岸に完全に往きて、悟りよ、幸あれ。」

これは、インドのサンスクリット語の現代語訳です。中国語訳の般若心経は、サンスクリット語をそのままの音訳して次のようになっています。

「ギャテイ、ギャテイ、ハラギャテイ、ハラソウギャテイ、ボジソワカ」

この経典の文章の意味は、お釈迦さまの教えである六波羅蜜(ろっぱらみつ)(六度)をくり返し実践することによって、苦しみの世界である此岸より、悟りと安心の世界である彼岸にゆくことができると説示しているのです。

六波羅蜜(六度)とは、悟りと安心を得ることのできる六つの道という意味です。六度は、この六波羅蜜の中国語訳で、苦しみの此岸より、悟りと安心の彼岸に渡る六つの道という意味になります。

六波羅蜜は、①持戒(じかい)、②精進(しょうじん)、③禅定(ぜんじょう)、④智慧(ちえ)、⑤忍辱(にんにく)、⑥布施(ふせ)の六行です。この六行は、悟りを得る菩提(ぼだい)行と安心を得る涅槃(ねはん)行の二つに分けられます。

悟り、つまり仏教の智慧を得る行は、①日常生活を正しくする(持戒)、②お釈迦さまの教えを一生懸命に学ぶ(聞法精進)、③学んだ教えを省察し、内在化して自分の智慧とする(禅定)、④自分の智慧としたものを、仏教者のグループ(僧伽(さんが))のなかでメンバーに語り、理解していただき外在化して普遍的な智慧とする(智慧)、の四つの行であります。この四つの行をくり返し実践することにより、仏教の智慧菩提を得てゆくのです。

安心を得る行は、①苦悩の原因である我執(煩悩)を捨てるために苦しみに耐える実践をする(忍辱)、②苦悩の原因である我執を捨てるために自分の大切なものを他者にあたえる(布施)、二つの行をくり返し実践することにより、苦悩の原因である我執を捨て、安心を得ることができるのであります。

この六波羅蜜における悟りを得る四行と、安心を得る二行の実践をくり返し行うことにより、仏教における悟りと安心が生まれ、苦しみの此岸より、悟りと安心の彼岸に渡ることができるのであります。

私たち仏教徒は、お釈迦さまをはじめ、多くの仏さまを信仰するとともに、この六波羅蜜の行をくり返し実践することにより、苦しみの此岸より、悟りと安心の彼岸へ渡らねばならないのであります。

最初に示した経典の「往きて、往きて、彼岸に往きて」という文章は、六波羅蜜の実践をくり返し、くり返し実践することにより、悟りと安心の世界である彼岸にゆくことができると語られているのです。

私たちは彼岸に渡ることができると、そこは自分のいる此岸になります。また、新たな我執が生まれます。そこでこの此岸より、新たな彼岸へ渡る実践を生涯くり返しつづけるなかに、仏教者の安心が決定するのです。

私たちが、生涯「往きて、往きて」という六波羅蜜の行を実践するなかに悟りと安心と生きがいを成就することができると、般若心経は説いているのです。

(駒澤大学名誉教授)







常真寺 平成20年3月の

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【4月の法話】 「お釈迦(しゃか)さまの誕生(たんじょう)  4月1日

常真寺 住職 【緑蔭禅の集い 主幹】
  皆川 廣義


仏教を開かれましたお釈迦さまは、今から約二千五百年前の四月八日に、現在のネパールのルンビニーで、父・釈迦国王スッドダーナ、母マーヤのもとに生まれました。

花まつりは、お釈迦さまのご誕生を祝うおまつりです。

お釈迦さまが、もし、生まれなかったら仏教という宗教も生まれなかったし、お釈迦さまをまつる常真寺もありませんでした。常真寺で生まれた私も存在しないことになります。また、多くの日本人は仏教との因縁があり、仏教がなかったら存在していなかったことでしょう。私たちは、このようにお釈迦さまと深い因縁があるのです。

お釈迦さまは、ネパール人で、私たち日本人と同じ顔をしたモンゴロイドです。また、お釈迦さまの国は、米をつくることによって栄えた国で、みづほの国である日本と同じ米作文化をもっています。

私たち日本人とお釈迦さまは、人種の上で同じモンゴロイドで、しかも、同じ米作文化によって栄えた民族なのです。お釈迦さまは、私たち日本人と同じ血のつながり、文化のつながりをもっているのです。私たちの生命のなかにお釈迦さまと同じ生命がながれているのです。その上、私たち日本人は、この同じ生命を共有するお釈迦さまの教えにより、奈良時代より幸いにも繁栄し現在にいたっているのです。

このように、深い因縁のあるお釈迦さまのご誕生を祝う花まつりを、四月八日に常真寺でも花御堂を本堂に設けて行います。是非、多くの方々にお参りしていただき、お釈迦さまに甘茶をかけてお祝いしていただければと思います。お子様のためのおみやげ(甘茶あめ)などを用意してありますので、お子様もお連れしてお参り下さい。

その四月八日にお生まれになられたお釈迦さまの教えは、二つありました。

まず、第一の教えは、私たちは何のために生まれ、働き、結婚し子供を育て、そして老い、病にたおれ、自ら死んで行くのかという人生の目的を教えています。お釈迦さまは、私たちは自分の人生を生きることと、もう一つは先祖よりいただいた生命を永遠に伝承するために生きることの二つが、人生の目的であると説示されています。

第二の教えは、自分の死の恐怖を解脱して安心と生きがいをつくる道であります。すべての人は、子育てが終わると老化し、病にたおれ、死の恐怖におののきながら死んでいきます。この死の恐怖をのり越えて、安らかに老い、病気になり、死を受容できる道を説示されているのです。

すべての人々にある老病死の苦悩をすべての人々が解脱し、安心と生きがいをもっていただきたいというのが、お釈迦さまが、三十五歳より八十歳でクシナガラで亡くなるまで、四十五年の伝道を通して説示なされた願いなのです。

お寺では、このお釈迦さまの願いをかなえるため、さまざまな活動をさせていただいております。是非、この活動に参加することを通して、皆さん一人一人が、人生の目的を悟り、生死の苦悩を解脱して安心を得る道を得ていただきたいと思います。

(駒澤大学名誉教授)






常真寺 平成20年4月の

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【5月の法話】 「お仏壇(ぶつだん)について」  5月1日

常真寺 住職 【緑蔭禅の集い 主幹】
  皆川 廣義


曹洞宗の檀家には、みなお仏壇があり、朝夕みほとけさまにお祈りしていただいています。

お仏壇は、その家の人々が一番よく集まる部屋に設けるのが、一番よいと思います。お仏壇の向きは、(ひがし)(みなみ)西(にし)がよいと思います。

お仏壇にまつられる(ほとけ)さまは、まず、中央に、御本尊のお釈迦さまの像をまつり、その裏に永平寺を開かれた道元禅師と総持寺を開かれた瑩山禅師の軸物(じくもの)をまつります。そして、御本尊仏の左右にその家の先祖仏の法名を記した位牌をまつります。

この御本尊仏と道元・瑩山の両祖仏と先祖仏の前下に、燈明、花びん、供物用高坏(たかつき)を各一対、中央に香炉(こうろ)小鏧(しょうけい)(かね)を置くようにします。

このまつられている仏さまと仏具について、不明なところは、是非寺に御相談下さい。できるだけ、教えにもとづいたまつり方をし、荘厳な祈りの場にしていただきたいと思います。

お仏壇は、菩提寺の本堂と同じで、同じまつり方になります。毎日、菩提寺におまいりに行けないので、各家に仏壇がまつられるようになってきたのです。ですから、菩提寺の本堂をモデルにして、お仏壇をおまつりするようにしていただければと思います。

朝夕のおまいりは、まず、燈明(ローソク)をかかげ、線香一本を香炉に立て、合掌しておまいりします。

出来れば、本尊上供(ほんぞんじょうぐ)という法要をしていただければと思います。内容は、『般若心経』を読誦(どくじゅ)し、最後に回向をとなえます。本尊上供を記した聖典が寺にありますので、希望者にはさしあげます。

本尊上供をされる方は、仏壇の前に経机を用意し、その上に聖典・小鏧(しょうけい)(かね)と木魚をおき、小鏧をならし、木魚を打っておつとめをしていただければと思います。この経机を用意していただくと、僧侶が法要をするときにも大変助かります。

また、読誦する『般若心経』の教え、回向の文章なども、日曜日の法話の折などに学んでいただき、よく理解してお祈りをしていただきたいと思います。この『常真寺便り』でも、『般若心経』の法話を、今後して行き、みなさんにお経を理解していただきたいと思っています。

本尊上供を、毎朝家族全員でつとめることは難しいと思いますが、何人かの方が実践されているように家主の方だけでもしていただければありがたいと思っています。

お仏壇の仏さまに、季節の美しい花をあげたり、仏さまの好物の食物を供養することは心をゆたかにさせていただけるものです。また、月に一回は、お仏壇を掃除して、常にきれいなお仏壇にし、気持ちよくお祈りができるようにしましょう。

お祈りは、仏さまの御生涯や、語られたことを心にいだき、このことを思い出しながら、仏さまと話し合いをすることです。仏さまの教えを常に学び、実践する外なる仏さまへの祈りを通して、豊かな内なる仏さまが生まれ、祈りを通して悟りと安心をさずかることができるようになります。


(駒澤大学名誉教授)






常真寺 平成20年5月の

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【6月の法話】 「般若心経の教え」  6月1日

常真寺 住職 【緑蔭禅の集い 主幹】
  皆川 廣義


曹洞宗で、最も多く読誦(どくじゅ)するお経は、般若心経です。お檀家の皆様のなかには、毎朝お仏壇で、般若心経を読誦されている方もおられます。

般若心経の教えは、「五蘊(ごおん)(人間の身体と心)は、皆空(かいくう)であると照見して、一切の苦厄を度す。」ということであります。

この言葉の意味は、「私たち人間の身体と心は、皆自分のものではなくて、三世十方の生命よりいただいたものであると悟り、この三世十方の生命の教えにもとづいて、悟りの実践(菩提行)と煩悩をすてる実践(涅槃行)をすることにより、生死の苦しみを解脱して安心を得、人生の目的を悟ることで、生きがいのある人生が生まれる。」という意味であります。

五蘊(ごおん)」という意味は、「五つの集まり」という意味で、私たちの身体と心が五つの集まりによって出来ているという仏教の人間観です。この五つは、「色」という身体と「受・想・行・識」という四つの心のはたらきであります。つまり、私たちの身体と心が、「五蘊」なのです。

私たちは、自分の身体と心があると考えています。つねられれば「痛い」という身体があり、ほめられれば「うれしい」、けなされれば「かなしい」という心があると思っています。これは、時間的に現在と空間的に私の立場から一方的に考え、思っているからそう感じるのです。

お釈迦さまも、お坊さまになる前はそう思っていました。

ところが、お釈迦さまは、二十代後半になって、死んで行く人達の苦しみを見ていて、一つの悟りを彼らより与えられることになります。自分の身体と心は死ぬと無くなってしまう。また、生まれる前には自分の身体と心は無かった。それなのに今、自分の身体と心があるというのはおかしいと悟ったのです。無から有は生まれませんし、有が無となるのも不条理です。

そこで、自分の生まれる前にもあって、死んだ後にもなくてはならないものがあることを悟られたのです。それが、親より子へと伝承される永遠を求めて生きつづける生命であります。生命がこの世に生まれた過去より現在まで、私より未来の子孫へと、過去・現在・未来へ生きんとしているこの生命のことを、仏教では「三世の生命」というのです。また、この三世の生命は、すべての生物をもつくっている生命でもあり、同事なるものであり、「十方の生命」でもあるのです。

つまり、お釈迦さまは、菩提樹下の成道のとき、自分の身体も心も、この三世十方の生命なのだと悟られたのです。このことを般若心経では「五蘊皆空であると照見して」と述べているのであります。

お釈迦さまは、この自分の真実体である三世十方の生命の実相のなかに、人生の目的を悟り、生死の苦悩からの解脱道を発見されることになったのです。それを般若心経では「一切苦厄を度す」と述べているのです。

お釈迦さまは、人生の目的を悟り生死の苦悩を解脱して安心と生きがいをつくるために、三帰依の信仰と菩提(悟り)行と涅槃(安心)行の実践をしなさいと説き示されております。



(駒澤大学名誉教授)






常真寺 平成20年6月の

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【7月の法話】 「これから先祖仏は  7月1日

常真寺 住職 【緑蔭禅の集い 主幹】
  皆川 廣義


最近、「私たちは今まで通り先祖仏を信仰し供養していくが、子どもや孫の代になると、どうなるか心配です」という相談をよく受けます。

これは、子孫が職業により住居を移動し、菩提寺より遠く離れてしまいお墓まいりもできなくなるのではないか。また、先祖仏を供養し、その家のお仏壇を継承する子孫が遠く離れて生活していて、自分たちが供養できなくなったとき、代わって供養してもらえるだろうかという心配があるからです。そして、自分たちの家ができてから何百年もつづいてきた先祖仏信仰が断絶し、自分が死んでも子孫は供養をしてくれなくなり、お仏壇も捨てられ、お墓も荒れはててしまうのではないか。また、それだけではなく、先祖仏信仰を通してつくりあげてきた思いやり助けあう心がなくなり、家族のものがばらばらになって不幸なことになるのではないかと心配しているのです。

菩提寺である常真寺は、このようなことが起らないように、先祖仏信仰を守りつづける伝道を檀家の皆様と共に展開していきたいと思います。

そこで、このたびは常真寺の伝道について、次の三点をよく知っていただきたくお話します。

第一点は、仏教では、仏教徒である人が亡くなりますと、お釈迦さまの教えにもとづいて菩提寺の住職が葬儀を行ない、仏さまのお名前をおつけし、それを位牌に記して仏さまとして信仰し、供養しています。ちなみに、常真寺住職である私は、お釈迦さまより九十三代目の仏僧であり、私によって葬儀が行なわれ、仏さまになられた方は、お釈迦さまより九十四代目の仏さまとなります。このことを証明した『お血脈』というものを葬儀のとき御骨壷に入れて、お墓に埋葬してあります。

第二点は、仏教では亡くなり葬儀をして仏さまとなった方を①菩提寺②各家のお仏壇③お墓の三ヵ所におまつりしています。仏さまを三ヵ所におまつりするのは、それが必要だからです。それは、一本立ちより二本立ち、二本立ちより三本立ちの方が安定し、安心だから、三ヵ所に仏さまをおまつりしているのです。
このように仏さまを菩提寺とお仏壇とお墓にまつる先祖仏信仰によって、各家は今よりももっときびしい時代より今日まで子孫が繁栄してこられたのです。

第三点は、常真寺では寺ができてから今日まで、住職が葬儀をして仏さまの法名をおつけした先祖仏は全て位牌堂にまつり、朝夕供養しています。たとえ、離檀した家の先祖仏でも、また家が断絶して子孫がいなくなった先祖仏でも、常真寺で葬儀をした仏さまは、今までも供養申し上げてきましたし、これからも寺のある限り御供養申し上げます。常真寺で葬儀をして仏さまになられると、たとえ、不幸にも供養する子孫がなくなっても、寺で御供養申し上げ、お墓を守っていきますので、ご安心いただきたいと思います。

最近、昔先祖が久我より東京に出て寺まいりもできなかった方の孫が、あちこちたずね歩いたのちに、常真寺におまいりに来ました。もうお墓もわからなくなり、お仏壇もない方でした。その人は、仏教では、菩提寺とお仏壇とお墓に仏さまをまつるということを知って、菩提寺をさがしだし、御先祖仏のおかげで今の自分があることを感謝されておりました。



(駒澤大学名誉教授)






常真寺 平成20年7月の

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【8月の法話】 「永代供養について」  8月1日

常真寺 住職 【緑蔭禅の集い 主幹】
  皆川 廣義


最近、日本では昔のように子供を多く生むことなく、少子化の時代になりました。それにより一人娘が嫁にいってしまったりして、先祖仏を供養する人がいなくなる心配をする方がでてきました。

仏教では、教主のお釈迦さま以来、亡くなった人を教えにもとづき葬儀をして仏さまになっていただき、寺(菩提寺)の本堂にまつり、住職(僧侶)と檀家の皆様が供養してきました。したがって、自分の先祖仏を供養してくれる人がいなくなって無縁となったとしても、寺で葬儀をして先祖仏となられた方は、寺のつづくかぎり、住職と檀家の皆様によって、永代供養されていることを知っていただきたいと思います。つまり、寺で葬儀をして先祖仏となられた方は、すべて本堂にまつられ永代供養されるので、御安心をいただきたいということです。

いつもお話しているように、仏教の葬儀は、教主のお釈迦さまより、教えを代々伝承してきた菩提寺の住職が司祭をして行い、教えにもとづき亡き人に仏さまの名前である「法名(ほうみょう))」をおつけし、「お血脈(けちみゃく)」を渡して先祖仏とする儀式であります。ちなみに、常真寺住職である私は、お釈迦さまより九十三代目です。私を導師として葬儀をされた人は、お釈迦さまより、九十四代目の先祖仏となられるのであります。

このことを図示したものが「お血脈」で、葬儀の折、亡くなられた人に仏になった証明として授与されます。「お血脈」は骨壷に入れられ、仏塔のあるお墓にお骨と共に埋葬し、まつられます。「お血脈」には、第一代のお釈迦さまより、住職までの祖師仏の名が記され、次に住職の横に亡くなられた人の氏名が記され、それらは赤い線で結ばれています。そして、さらに赤い線は左側を上にあがり右にゆき第一代のお釈迦さまの上にいたって、そこに亡き人の仏さまの名である法名が記され、赤い線はお釈迦さまへと結ばれ、すべての仏さまが赤い線で結ばれて一体となり、これで亡き人が仏さまになったことを証明しているのです。仏教では、葬儀をし、お釈迦さまの名代である住職より「法名」と「お血脈」をいただかないと仏となり、先祖仏にはなれないのであります。

僧侶なしの葬儀や、自分でつけた法名では、仏教では仏になったとは言わないのです。それでは、単に亡くなった人で、まもなく人々より忘れられて無化されるでしょう。しかし、真の仏教の葬儀をすると寺のつづくかぎり本堂にまつられ、永代に供養されるのです。このために、寺(菩提寺)があるのです。

仏教では、仏となった亡き人を菩提寺と仏壇とお墓の三ヵ所におまつりしています。三ヵ所におまつりするのは、仏さまを永代に供養したいという人々の願いをかなえるためであったと考えます。たとえ、子孫が先祖仏を供養できなくなるようなことがあったとしても、菩提寺があるかぎり永代に仏さまを供養できる安心があるからであります。

菩提寺は、このような意味で、仏教徒にとって大切なものであり、皆で守り、荘厳して、永代に仏さまを供養してゆかねばならないところです。                     



(駒澤大学名誉教授)






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【9月の法話】 「彼岸(ひがん)への(みち)  9月1日

常真寺 住職 【緑蔭禅の集い 主幹】
  皆川 廣義


お彼岸を迎えるころとなり、涼しくなってきました。仏教では、この身心に快い時節に学びと信仰を深め、悟りと安心を得る「彼岸会法要(ひがんえほうよう)」を行ってきました。

仏教徒にとってお彼岸は、生死の苦しみを仏教の学びと信仰によりのり越え、人生の目的を悟り、安心と生きがいを得るための修行期間です。

お釈迦さまは、この苦しみの此岸より、安心と生きがいのある彼岸に行く道として、三帰依の教えを説き示しています。

三帰依(さんきえ)は、①仏さまと②仏さまの教え(法)と③仏さまとその教えを学び、信仰する修行者のグループ(僧伽(さんが))の三つをよりどころとして生きることです。

まず、仏さまとその教えを学び、信仰するグループであるサンガに入会することより、はじまります。自分に適したサンガを選んで入会します。サンガには、寺サンガと各家庭の家のサンガの二つがあります。

寺のサンガには、子どものサンガ、青年のサンガ、壮年のサンガ、老人のサンガなどが必要になります。それに、礼拝と聞法を中心としたサンガ、坐禅などの修行を中心としたサンガ、写経、仏画、仏像彫刻などをする芸術活動をするサンガなどがあります。

常真寺では、檀信徒の皆様の協力を得て、このようなさまざまなサンガを寺につくっていきたいと願って、努力しています。是非、たくさんの人々が、寺のサンガ活動に参加していただくようお願いします。

サンガに入会された方は、そこでの活動を通して、仏さまとその教えを学び、サンガのメンバーからも色々なことを教えていただき、この仏と法と僧伽の三つをよりどころとし、信じて生きて行くようにして下さい。

仏教では、この仏と法と僧伽は大切なものですから、仏教徒の三つの宝(三宝)と呼んでいます。

お釈迦さまは、この仏と法と僧伽の三宝を外なる三宝と内なる三宝の二つに分けて、説き示されています。

外なる三宝は、①本堂にまつられているお釈迦さまと祖師仏と先祖仏、②仏教の経典、③寺の色々なサンガの三つであります。

内なる三宝は、この外なる三宝を学び、よく知り、知ったものを心の中に内在化していただき、祈りを通してこの三宝と対話をして信仰しているものです。つまり、外なる三宝を心の中に内在化し、信仰している三宝のことです。これは、心の中で自分と共に生きている三宝であり、これにより三宝のもっているさまざまな徳を共有させていただけるのであります。

外なる三宝は、内なる三宝を豊かにつくりだす働きがあり、内なる三宝は、外なる三宝をより豊かにする働きがあり、この外と内との三宝の相互の働きにより私たちの信仰が深まり、悟りと安心が生まれるのです。

このような三帰依を彼岸会の学びのなかで自分のものとして行きましょう。   



(駒澤大学名誉教授)
【9月(秋彼岸)の法話】 「彼岸(ひがん)への(みち) 2」  9月23日

常真寺 住職 【緑蔭禅の集い 主幹】
  皆川 廣義


私たち仏教徒にとってお彼岸は、死の矛盾を明らめて人生の目的を悟り、死の苦しみをのり越えて安心を得るための修行期間です。

すべての人に、老いの苦しみ、病の苦痛、死の恐怖があります。この生死の苦悩をのり越えて安心を得、生きがいのある人生を生きるための道として、仏教があるのです。

お釈迦さまは、この苦しみの此岸より、安心と生きがいのある彼岸に行く道として、たくさん教えを説き示されています。このなかで、根本の教理は、三帰依説と六度説です。

三帰依説は、①仏さまと、②仏さまの教えと、③仏さまとその教えを学び、信仰するグループ(僧伽(さんが))の三つをよりどころとして生きることです。前回の法話で、その内容についてくわしくお話しました。この度は、六度についてお話いたします。

六度は、苦しみの世界(此岸)より安心と生きがいのある世界(彼岸)に渡る六つの道という意味です。

この六つの道は、悟りを得る行(菩提行)と安心を得る行(涅槃行)からなります。悟りを得る行は、①持戒(じかい)(正しい生活をする)と、②聞法(もんぽう)精進(しょうじん)(お釈迦さまの教えを一生懸命に学ぶ)と、③坐禅(ざぜん)省察(しょうさつ)(学んだ教えを坐禅省察して自分の智慧とする)と、④対話(たいわ)智慧(ちえ)(自分の智慧としたものを、僧伽(さんが)のメンバーに語り、正していただき、メンバーの普遍的智慧とする)の四行よりなります。

安心を得る行は、①忍辱(にんにく)(苦しみの原因となる煩悩を捨てて安心を得るために、苦しみに耐える行)と、②布施(ふせ)(同じように苦しみの原因となる煩悩を捨てて安心を得るために、自分の大切なものを、他者にもらっていただく行)の二行です。

この六度の行は、苦しみの原因を正しく知る智慧と、それによって自覚された苦悩の原因である煩悩を捨てて安心を得る実践であります。

悟りを得る行は、仏教者として菩提寺のメンバーとなり、(てら)のさまざまな活動に参加するなかで行じられるものです。日曜礼拝、仏祖会などに参加して法話を聞き、仏教についてお話し合いなどをして、悟り(菩提)を得てゆきます。

安心を得る行は、忍辱も布施も日常生活のなかで行じられます。病気や貧しさや争いに耐えることなどを、自分の煩悩を捨てる行として自覚して実践すると忍辱行となります。また、自分の大切なものを人にもらていただくことや、苦しんでいる人のために手助けをすることなどを自分の煩悩を捨てる行として自覚して実践すると布施の行となります。

檀信徒の皆様が、寺にお金や供物などをあげることを布施と言いますが、これはこの六度行としての実践であるからであります。

六度の意味を正しく学び、理解した上で、実践することにより、悟りと安心が生まれるのです。

仏教者の布施行は、死んだら一銭も持って行けないことを自覚した上で、自分の煩悩を捨てて、自分の安心を得るための実践であります。人間は生きているときは、煩悩がなくても生きて行けません。あり過ぎても苦しむものです。そして死ぬときにすべての煩悩を捨てます。



(駒澤大学名誉教授)






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【10月の法話】 「信心を深める」  10月1日

常真寺 住職 【緑蔭禅の集い 主幹】
  皆川 廣義


仏教は、死の矛盾を明らめてまことの人生の目的を悟り、その上に死の苦しみをのり越えて安心と生きがいのある生活をつくりだす(みち)であります。

最初の仏さまは、仏教を開かれたお釈迦さまです。今から約二千五百年前、インドの釈迦国の皇太子として生まれました。

お釈迦さまは、平和な時代に、物心両面にめぐまれた環境の中で成長され、強健な身体と深い智慧をもった成人となられました。その上、あたたかな心の持ち主でありました。母の国より妻ヤショダラーを迎え、長男ラーフラも誕生し、幸せな生活をされていました。

ところが、お釈迦さまは二十代の後半になり、隣人の老病死の苦悩から、自分にもあのような苦悩があることを悟られました。自分は一生懸命に生きているのに、一方では、老いをつくり、死をつくっている矛盾をもっている。どうしたら死の苦しみをのり越えて、安心を得ることができるだろうかと、思い悩むことになります。

この死の矛盾を明らめて、人生の目的を悟り、死の苦しみを解脱して安心を得る道を求め、二十九歳のとき、国王への道を捨てて沙門(しゃもん)という宗教者になりました。沙門は樹下石上、三衣一鉢、行乞によるきびしい生活をしながら求道する修行者です。

幸いにも六年の修行のブッダガヤの菩提樹下の坐禅行中に悟りを得て、求道の目的を達成し、死苦を解脱する安心への道を発見しました。つまり、仏さまになられたのです。

お釈迦さまは、それから亡くなるまでの四十五年間、悟られた人生の目的と、死苦を解脱して安心を得る道を多くの人々に説き示されました。

そして、お釈迦さまは八十歳でクシナガラで亡くなりました。

仏教徒たちは、お釈迦さまを火葬にして、残った仏舎利をお釈迦さまと思って、塔を建てて供養しました。

もうお釈迦さまにお会いして教えを聞くことができなくなった仏教徒は、外にまつった仏舎利塔におまいりすることを通して、自分の心の中にお釈迦さまを内在化して、自分と共に生きていただくことにしました。自分の心の中に新たに誕生したお釈迦さまを毎日供養することにより、生涯、心の中にお釈迦さまに生きていただき、教えを聞く道を創造したのです。

仏教徒たちは、外なる塔にまつられたお釈迦さまをおまいりすることを通して、自分の信心の中に生きているお釈迦さまを供養し、また、自分の心に生きている内なる仏さまに教えを聞いて悟りと安心をいただいた報恩に、外なる塔におまいりをしました。

この外なる仏と内なる仏の二つのお釈迦さまを交互に供養信心する中に、信心を深めていったのです。

私たちも、これにならって、外なる仏さまへの信仰と内なる仏さまへの信仰の二つを自覚的にもって、信心を深め、悟りと安心をたしかなものとし、生きがいをつくりだしましょう。



(駒澤大学名誉教授)






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【11月の法話】 「突然の死」  11月1日

常真寺 住職 【緑蔭禅の集い 主幹】
  皆川 廣義


このたび四十を越したばかりで、突然亡くなられた方の葬儀をさせていただきました。

残された奥様とお子様の悲しみは、参列している者にとっても忍ぶに耐えられないものでありました。参列者全員が嗚咽(おえつ)しました。葬儀の司会者も、声を出して泣き出して、進行が中止されてしまいました。

このような不条理で受け入れることのできない深い悲嘆を、仏教を開かれたお釈迦さまは二十代後半に体験されました。

お釈迦さまは、この死の不条理と深い悲しみ、苦しみのなかより解脱して、安心を得たいと願い、国王への道を捨てて、宗教者となられて修行されたのです。

幸いにも、お釈迦さまは、六年の求道の後にブッダガヤの菩提樹下の坐禅修行中に、この問題解決の道を発見されました。

お釈迦さまのお悟りの内容は、まず、自分は三世十方の生命であるという自覚でした。私たちは、自分が生命を持っていると思っていますが、それは間違いであって、生命が自分を持ってくれているのです。私より、私のなかにある生命の方が主人公であるのです。私のなかにある生命は、両親よりいただいいたもので連なっています。それぞれの両親もまた、その両親よりいただいたもので、さかのぼるとこの地球上に生物として生まれてから、私まで連続して生き続けている生命であります。そして、これから未来へ、永遠を求めて生きんとしている生命であります。この過去より現在へ、現在より未来へ生きんとしている生命のことを、三世の生命とお釈迦さまは呼んでいます。また、この三世の生命はすべての生物をつくりだしているものでもあるので、十方の生命と呼んでいます。

お釈迦さまは、自分が三世十方の生命であると悟り、この三世十方の生命のあり方(実相(じっそう))のなかに、死の矛盾を明らめて人生の目的を悟り、死苦からの解脱して安心を得る道を発見されたのです。

お釈迦さまは、多くの人々に身近な人の死に直面し、その人の生命の断絶を知る悲嘆のなかから、三世十方なる生命を学び、自覚して、安心と生きがいのある道を発見していただきたいと説き示しています。

私たちもお釈迦さまのこのお示しにしたがって、お釈迦さまの生涯や教えを学び、お釈迦さまを信仰し、修行して、この死の悲嘆より解脱して、安心を得なければなりません。

寺は、お釈迦さまを信仰し、修行する人たちのグループ(僧伽(さんが))であります。住職を中心として、檀信徒の皆さんが修行集団をつくり、修行仲間となって、切磋琢磨しなければなりません。この寺の僧伽の様々な活動に参加して、仏教者の課題である人生の目的を悟り、死苦を解脱して安心と生きがいをつくって行きましょう。このために寺では朝夕の先祖仏供養法要、一泊参禅会、日曜法話、常真寺だよりの発刊配布、子どもの集い、仏像彫刻教室、合宿研修、新春祈祷法要、御年始廻り、両彼岸とお盆の棚経、除夜の鐘などを行なっています。

是非、これらの活動に参加していただき、自分の仏教の課題を解決して、安心と生きがいのある人生をつくりだしましょう。 



(駒澤大学名誉教授)






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【12月の法話】 「生命(いのち)のことばを()く」  12月1日

常真寺 住職 【緑蔭禅の集い 主幹】
  皆川 廣義


お釈迦さまは、二十九歳のとき隣人の死にゆく苦しみをみて、自分にもこのような一大事があることを悟られました。

現代でも毎日テレビや新聞で報道されているように、私たちのまわりには不条理な死があり、残された人々は深い苦悩に打ちのめされています。

お釈迦さまは、人はなぜ生まれ、死なねばならないのか。人生の目的は何なのかと疑問に思い、お坊さまになることによって、それを解決しようとされました。

幸いにも、沙門(しゃもん)という求道者の道を六年間歩むことにより、この疑問を解決されました。

お釈迦さまの菩提樹下の問題解決は、「自分は三世十方の生命である」という自覚より生まれました。平常私たちは、自分が生命を持っていると思っていますが、それは間違いであって、生命が自分をこの世に誕生させてくれていて、自分を持っていてくれているのです。私は、両親より生命をいただいてこの世に生まれました。両親もそれぞれの両親より、生命をいただいて生まれました。さかのぼって考えますと私の生命は、この地球上に生物として生まれてから、親より子へと伝承されて生き続けてきた生命であるのです。そしてまた、子孫へ永遠に生きようとしている生命でもあります。仏教では過去より現在へ、現在より未来へ生きようとしている私の生命を「三世の生命」と呼んでいます。また、この私の三世の生命は、地球上に生きているすべての生物をもつくりだしています。このような全生物をつくりだしている私の生命を「十方の生命」と呼んでいます。

お釈迦さまは、自分の真実のありようが、「三世十方の生命」であると悟られたのであります。そして、この三世十方の生命の実相(ありよう)の中に、なぜ人は死なねばならないのかということを明らめ、人生の目的を悟られたのです。

私の生命は、三世十方の生命であり、三十数億年も生き続けてきているものです。その間、数え切れないような多くの危機に直面しましたが、みごとにそれを乗り越えて、私まで生き続けてきているのです。それは、とほうもない生きる能力とエネルギーを持っていたからであります。

地球は、何度も火のかたまりになったこともあり、氷のかたまりにもなったこともありました。それは、生物が生きてゆけないような状態です。しかし、私の生命はそれをみごとにのり越えて生きているのです。

本当に、私の生命は、多くの御先祖仏さまのおかげでもたらされた尊い生命であります。

この私の三世十方の生命は、三十数億年も生き抜いた歴史をもっています。この生命の真実の実相をお釈迦さまは悟り、生死の苦悩からの解脱道を発見されたのです。

私たちも、お釈迦さまの教えを学び、信仰することにより、自分の生命のことばを聞くことのできる仏教者となり、お釈迦さまと同じように人生の目的を悟り、生死の苦悩を解脱して安心をつくりだしましょう。



(駒澤大学名誉教授)




常真寺 平成20年12月の

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