【8月の法話】 正 し い お 盆  そ の 二  8月8日
※ 先月より『常真寺便り』の発行日が毎月1日となりました。今後法話は1日頃UPします。

常真寺 住職 【緑蔭禅の集い 主幹】
  皆川 廣義


7月の法話で正しいお盆の行事について、歴史をふまえてお話しました。

お盆の由来は、お釈迦さまの高弟の目蓮のお母さんが、目蓮のきびしい修行を思うあまり、心の病気になられ、さかさまにつるされるような苦しみ(ウランバナ=お盆の意味)に打ちひしがれました。

そのウランバナの苦しみを救っていただこうと目蓮はお釈迦さまに相談すると、夏の修行(安居)あけの7月15日に多くの修行者へ、みずからつくった食事を供養することにより、病気はよくなると説示されました。

そして、その修行僧達への供養によってみごとに目蓮のお母さんは、苦しみを乗り越え安らぎを得るのです。

さかさまにつるされるような苦しみ、ウランバナを救うことがお盆の行事の心です。現代でもこのような苦悩が私たちにもあります。この苦しみを解脱して安心を得るため正しいお盆の行事を実践していただきたいと思います。

目蓮のお母さんの愛は自分の子どもだけを思う小さな愛だったのです。それがウランバナの苦悩になったのです。それを正しく理解されたお釈迦さまは、目蓮と同じきびしい修行をしていた多くの修行僧へ、修行終了の日に食事の供養をすることにより、その小さな愛を自覚させ、すべての人々への大きな愛を実践し、苦しみを乗り越えて安心を得ることができたのです。

私たちの愛には特定の人々への小さな愛と多くの人々への大きな愛があります。この二つの愛はいずれも大切なものです。ただ、小さな愛は苦しみの原因となるものです。この苦しみを乗り越えるために大きな愛も必要になるのです。

人間は、社会生活を豊かにするためには、家族を大切にし愛することも必要ですが、それだけでなく、多くの社会を構成する人々への大いなる愛もないと豊かな生活をできませんし、個人の安心も生まれません。

現代の人々は、家族を愛する小さな愛をもっていても、社会の人々を愛する大きな愛を欠落しているように思います。

社会の人々への大きな愛を実践しているボランティア活動をされている人達を見習って私たちもこのようなボランティア活動などを実践していきましょう。

仏教のお盆は、自分たちの御先祖物を供養する夏のお祭りですが、同時に、お釈迦さまの教えにもとづいて、供養していただけない無縁になった仏様や他の生物、三界の万霊を共に供養する大きな愛の実践でもあるのです。

お盆の墓掃除のとき、無縁になっているお墓をいっしょに掃除して、供物を施すようなことも、大いなる仏の愛の実践になります。

また、無縁になっている友人の仏様を、菩提寺にお願いして、塔婆をつくり墓に建立してあげることも仏の愛の実践となります。

それに、お盆に、めぐまれなくさびしい人々を慰問することなども仏の愛の実践になります。

このような大いなる愛の実践により、人間の真実を学び、我執をすてて安心や生きがいを私たちはさずかることができるのです。

私たちの仏壇に、無縁仏、三界万霊の位牌をつくり納め、毎日家族全員で、自覚的に供養していただきたいと思います。
(駒澤大学名誉教授)





常真寺 8月の

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【9月の法話】 お 彼 岸 の 修 行  9月7日

常真寺 住職 【緑蔭禅の集い 主幹】
  皆川 廣義


きびしかった残暑も去り、秋のお彼岸を迎えるころとなりました。

お彼岸は、年に春と秋にあります。ともに、時候の一番よいときに、仏教の学びをするための行事です。

お彼岸は、お釈迦さまの教えを学び、人生の目的を悟り、生死の苦悩を解脱して安心を得る道を学ぶ修行期間です。

仏教では、私たちの日常生活を此岸(しがん)と呼び、さまざまな苦悩が生まれるところとしています。 お釈迦さまは、この此岸より教えを学び、信仰し、実践してさまざまな苦悩を乗り越え、安らかな生活をする彼岸(ひがん)へ、渡りなさいとすすめられているのです。

此岸は、私たち凡夫の苦悩に満ちたところです。彼岸は、お釈迦さまの教えを学び、信仰し、実践して、苦悩を乗り越え安心と生きがいのあるところです。

お釈迦さまは、この此岸より彼岸に渡る道として、三帰依と六度を説き示されています。

三帰依は、ほとけ(仏)さまとその教え(法)と仏さまと教えを信じるグループ、サンガ(僧伽)を、学び、信仰することです。

まず、外にある仏さまと教えとサンガをよく学んで、正しく知り、この仏と法とサンガを心の中によく記憶し、心の内に仏と法とサンガをいだき、信仰いたします。つまり、外なる仏と法とサンガを学び、この学んだもので心の中に内なる仏と法とサンガをいだき、信仰いたします。外なる仏と法とサンガを信じ、内なる仏と法とサンガを信じることが三帰依であります。

六度は、此岸(人間世界)より、彼岸(ほとけの世界)へ渡る六つの道(方法)という意味です。

六度は、二つに分けて説かれています。一つは、悟り(菩提)を得る行と安心(涅槃)を得る行です。

悟りを得る菩提行は、@正しい生活をする持戒、A教えを一生懸命に聞く聞法精進、B聞法したものを坐禅瞑想して自分の智慧にする禅定、C坐禅によって得た智慧をサンガの人々に語り、メンバーにも理解していただき普遍的な智慧とするというものです。この持戒と精進と禅定と智慧の四行をくりかえし、実践することにより、お釈迦さまと同じ智慧(菩提)を、私たちも得ることができるのです。

私たちはこの菩提行の実践により、お釈迦さまと同じような明晰な智慧を得て、苦悩の原因が、我執(自分本位な考え)にあることを自覚します。そして、我執にひきずりまわされることにより、苦悩していることを悟り、我執をすて、我執をコントロールすることにより、安心が得られると悟るのです。

この我執を捨てる行が涅槃行であります。涅槃行は、@我執をコントロールする忍辱とA我執を捨てる布施です。

忍辱は、一人で実践できる涅槃行です。私たちの我執は忍辱がきらいですから、忍辱行をしているところに我執は生まれません。布施は社会のなかで実践する行です。自分の大切なものには我執がついておりますから、それを他人にもらっていただくことによって、捨てて涅槃、つまり安心が生まれるのです。布施は、自分の安心を得るために行じるものであり、それを受けた人は助けられることにもなります。つまり、布施は自利と利他が同時に行ぜられるものであります。
(駒澤大学名誉教授)





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【10月の法話】 仏祖会(ぶっそえ)について  10月3日

常真寺 住職 【緑蔭禅の集い 主幹】
  皆川 廣義


常真寺最大の行事である仏祖会(せがき)大法要を、今年は11月5日(日曜日)に行います。

常真寺の仏祖会は、みのりの秋に全檀家の皆様と寺が、ほとけさま(本尊お釈迦さま・祖師仏・先祖仏)に、報恩と感謝の祈りをする大法要であります。同時に、ほとけさまの教えを学び、実践することによって、人生の目的を悟り、苦悩を解脱して安心を決定する学びの場でもあります。

このようなほとけさまへの報恩感謝と学びをして、最後にほとけさまの前で皆で同じものを会食、会談して、仏教徒として生きる喜びをつくりだしましょう。

私たちは、この世に自分で生まれて、自分で生きているように思っていますが、本当は多くの先祖仏のおかげで、今生かされているのです。

私たちは、この地球上に生物として生まれてから私まで三十数億年も親より子へと生命を伝承して生きてきたのです。

私の生命は、私個人のものだけでなく、三十数億年も御先祖さまによって伝承されて来た生命でもあるのです。そして私より子孫へ永遠を求めて生きつづける大切な生命でもあります。

お釈迦さまは、この地球上に生物として生まれた過去より、現在の私へ、そして未来の子孫へと生きつづけている過去、現在、未来の『三世の生命』によってあるのだと説示されています。

また、私をつくってくれている生命は、地球上のすべての生命をつくっている『十方の生命』であると説かれています。

仏教では、この三世十方の生命のことを、ほとけさまの生命と呼んでいます。私たち人間だけでなくすべての生物が三世十方の生命によってつくられている生命同根なる存在であります。

私の個人としての生命の中に三十数億年生きて来た先祖の生命が生きていることを、常に忘れてはなりません。

また、私はいつか老いて、病にたおれて死してゆきますが、私の生命は家がつづき子孫のいるかぎり子孫の生命のなかに永遠に生きつづけてゆくのです。

この大いなる三世十方の生命としての私を悟ることにより、苦悩を解脱し安心を決定し、安らかに老い、病い、死を受容することができるのです。

仏祖会大法要におまいりをして、お釈迦さまの教えを学び、信仰することにより、仏教の人生の目的を悟り、老病死の苦悩を解脱して安心を得、生きがいのある人生を皆でつくりだしましょう。

常真寺の本堂には、仏教を開かれた本尊としてのお釈迦さまと、お釈迦さまより代々教えを伝えてくれた祖師仏がまつられて、その左右の仏壇に全檀家の先祖仏がまつられています。この沢山の本尊仏、祖師仏、先祖仏をおまつりしているところを千仏洞と呼びます。

この本堂の本尊仏、祖師仏、先祖仏は、外なるほとけさまであります。お釈迦さまは、この外なるほとけ千仏を祈ることを通して、私たちの心のなかにほとけを誕生させ、内なるほとけとし、これをいだき信仰しなさいと説示されています。

外なるほとけさまと内なるほとけさまをいだき、信仰し、祈りを通して対話のなかに、悟りと安心が生まれ、仏教者としての生きがいが創造されるのです。
(駒澤大学名誉教授)





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【11月の法話】 外なる仏と内なる仏  11月1日

常真寺 住職 【緑蔭禅の集い 主幹】
  皆川 廣義


5月の法話で、外なる世界と内なる世界というお話をさせていただきました。

人間は、心をもった動物で、心を中心にして生きています。そしてこの心のなかに外なる世界と内なる世界をもっています。

外なる世界は、自分の外にある人々、沢山の生物、山や川などの大自然、家や道具などです。これらのなかには、自分の所持品であるものと、他者のものであったり、皆で共有しているものなどがあります。

内なる世界は、この外なる世界のものを自分のなかに自覚してもっているもの、この自覚してもっているものを色々と考えて自分の考え、生きる心がまえとしているようなもののことです。

この心のなかの外なる世界と内なる世界は相互に関係しあって、今の自分の生活がなされているのです。

仏教では、この外なる世界のことを世法と呼び、内なる世界に仏法があるとしています。

私たち人間は、母の胎内で単細胞の受精卵として生まれる前には、自分と関係のない外なる世界しかありませんでした。

人間として誕生してから、両親よりいただいた外なるものにより、身体と心を多くの因縁をえてつくりだし、今の自分があるのです。

そして、心のなかに外なる世界と内なる世界をもって生きる人間として今、生きているのです。

昔、仏教を開かれたお釈迦さまが、クシナガラのサーラの林で亡くなられたとき、仏教徒たちは、もうお釈迦さまに逢って教えを聞くことができなくなり、悲しみ、絶望しました。

その絶望の悲しみのなかから、仏教徒たちはお釈迦さまの御遺体を火葬にし、そのお骨(仏舎利)をお釈迦さまの象徴とし、塔を建ててまつりました。つまり、外なるお釈迦さまをそこにまつることにしたのです。

このようにして仏教における外なる仏さまが生まれたのです。この仏塔にまつられたお釈迦さまを仏教徒はおまいりすることにより、その御生涯や教えを学び、信仰することになりました。

この仏教徒のお釈迦さまの御生涯や教えを学び、信仰することは、仏教徒たちの心のなかに内なる仏を誕生させるためでした。

お釈迦さまの生涯や教えをよく学んで、心に記憶し、この記憶をもとにして、自分の心のなかにお釈迦さまにお出でいただき、再誕生させていただき、自分の生涯常に供養としての学びと信仰を継続することにより、等身大のお釈迦さまに内なる仏として心のなかに共生していただいたのです。

この内なる仏として心のなかに共生しているお釈迦さまに祈りを通して対話し、お釈迦さまの生前と同じように悟りと安心をいただく道を創造したのです。このようにして宗教としての仏教が生まれたのです。

自分の心のなかに内なる仏として生きていただいているお釈迦さまは、自分と共生しているわけですから、すべてをみていただいており、うそもつけません。真心より、この悲智慈の人お釈迦さまに苦しみをうったえ、その解脱の道をお示しいただき、悟りと安心をいただくことができるのです。

私たちは、外なる仏さまとしてのお釈迦さまを仏壇にまつり、その供養を通して内なる仏さまを心にいだき、信仰のなかに初めて悟りと安心をさずかることができるのです。
(駒澤大学名誉教授)





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【12月の法話】 菩 提 樹 下 の 成 道  12月6日

常真寺 住職 【緑蔭禅の集い 主幹】
  皆川 廣義


仏教を開かれましたお釈迦さまは、29歳で求道をはじめられ、6年の修行のち12月8日の朝、ブッダガヤの菩提樹の下で坐禅中、あけの明星のまたたきをみて悟りを得、人生の目的を明らめ、生死の苦しみからの解脱道を発見されました。

この菩提樹下の悟りと安心への道の発見を成道と呼んでいます。つまり、悟りと安心への道が成ったということです。

12月8日は、仏教者にとって大切な聖日で、常真寺では朝の勤行の折に、成道会法要を厳修しています。皆さんも是非12月8日に寺におまいりに来て下さい。

お釈迦さまは、平和な時代に、物心両面めぐまれ幸せな生活をされていました。しかし、20代の後半になって、自分の身近にいる人の老病死の苦しみをみて、このような一大事が自分にもまもなくおとずれ、最後は死して土くれとなることを教えられました。今までの幸せもふっとんでしまい、どうして人は死にたくないのに、自ら死んでいくのかと、死の矛盾に悩まれました。

人はなんのために生まれ、成長し、最後に苦しみながら老い、病にたおれ、そして死んでゆくのか、人生の目的とはなんであるのか。また、どうしたら老病死の苦悩を解脱して、安心を得ることができるのかと、当時の宗教に学ばれました。

しかし、お釈迦さまは宗教によって問題の解決を得ることができませんでした。まだ、人類はこの問題を解決していなかったのです。

そこで、お釈迦さまは皇太子でしたが、国王になる道を捨てて、自ら宗教者(僧)となって出家求道をされることになったのです。お釈迦さまは沙門という宗教者になられました。沙門は、家を出て樹下石上に生活し、三つの着物と一つの器しか持たず、行乞によって生きるきびしい修行をしました。

お釈迦さまは、聞法つまり先生について教えを学ぶことと、坐禅をして深い思索をされました。また、断食などの苦行もされました。

お釈迦さまは、これ以上苦行をすると死んでしまうような極端な苦行をしているとき、苦楽の中道という悟りを得ました。人はどんなきびしい苦行をして我執を捨てても、安心は得られない。人は、我執をすべて捨てると死んでしまう。人は、生きるために、我執が少しは必要である。人はだれでも死ぬときすべての我執を捨てて安らかになるという内容の悟りでした。

お釈迦さまは、この悟りによって、苦行を中断しました。そして、ウルヴェーラの村娘スジャータの乳がゆの供養をうけて、静養され、身と心をもとの健康な状態に回復されました。お釈迦さまは、身心に生命力が回復するなかで、自分が主人公でなく、この生命が主人公であると悟られたのであります。自分の個人の生命は、両親よりいただいたもので、それは御先祖仏のものであり、この地球上に生まれたときより、自分まで親より子へとぶっ続きで生きているものであり、また、自分より子孫へと永遠をめざして生きているものであります。生命は、人が生まれれば必ず死ぬという非連続でありながら、親より子へと連続し永遠を求めて伝承されているものであります。

お釈迦さまは、この自分の本当の主人公である生命の実相のなかに、人生の目的を悟り、生死の苦悩からの解脱道を発見されるのです。

皆さんも寺での仏教の学びを通して、自分の悟りと安心をつくりだして下さい。
(駒澤大学名誉教授)




常真寺 11月の

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【7月の法話】 正 し い お 盆  7月2日
※ 今月より『常真寺便り』の発行日が毎月1日となりました。今後法話は1日頃UPします。

常真寺 住職 【緑蔭禅の集い 主幹】
  皆川 廣義


仏教の教えにもとづいた正しいお盆の行事についてお話します。

お盆については、『盂蘭盆経(うらぼんきょう)』という経典に述べられています。

経典内容は、お釈迦さまのすぐれた弟子目蓮さんとその母の物語です。

目蓮さんは、ナーランダという町のお大尽の息子でした。目蓮さんのお母さんは、可愛い息子が、お釈迦さまのもとできびしい修行をして、身体をこわさないか、苦しんでいるのではないかと心配をして、とうとう心の病気になってしまいました。

このことを知った目蓮さんは、お釈迦さまに母の心の病気のことを相談しました。

お釈迦さまは、多くの僧たちの夏の修行が終わる7月15日に、お母さんに来ていただいて食べものを僧たちに供養されると病気は癒されるであろうと語られました。

目蓮さんは、この話をお母さんにしました。お母さんは7月15日に、多くの修行僧たちにみずから食事の供養をされました。

そして、お母さんは供養が終わると、みごとに心の病を癒されました。

目蓮さんのお母さんは、多くの修行僧たちへの供養を通して、自分の可愛い息子だけでなくこんなに沢山の修行僧が、同じようにきびしい修行をしていることを教えられ、自分の息子だけしか考えなかったことを反省し、これからは多くの修行者たちへの供養をつづけたいと念ぜられたのです。

目蓮さんのお母さんの心の病気は、自分の子どもだけを思う母の愛より生まれたもので、他の多くの修行僧のことを知り、その人々への食事の供養をするという大きな愛によって、病気をのりこえることができたのです。

盂蘭盆経で説くお釈迦さまの教えは、母の自分の子どもだけを思う小さな愛は子どもを育てるために必要だが、それだけでは愛が苦しみになる。その愛がつくりだした苦しみをのりこえるために他の人々への大きな愛を実践することにより安心が得られるというものです。

現在、行われているお盆は、自分たちの御先祖仏を供養する行事になっています。

しかし、本来のお盆の行事は、年に一度、自分の先祖仏以外の無縁になって供養されていない仏や他の生物の霊(三界万霊)を供養する行事であったのです。私たちの現在は、自分の先祖仏以外の仏さまや他の生物のおかげでもあるのです。そのことを、無縁仏や三界万霊の供養を通して自覚し、報恩感謝する行事が正しいお盆なのです。

仏教では、自分の先祖仏は、菩提寺や仏壇で毎日朝に夕に供養の祈りをしています。また、亡き仏さまの唯一残された象徴としてお骨(仏舎利)を墓にまつり塔を建てて供養しています。

私たちの外なる仏は、菩提寺と仏壇とお墓にまつられています。そして内なる仏は、自分の生命と心の中に先祖仏として共生しています。仏教者は、この外なる仏と内なる仏を常に信仰し、供養します。

ただ、お盆に年一回自分の先祖仏以外の無縁仏と三界万霊を迎え火をたいておよびして供養し、送り火をたいて送っているのです。

昔、お盆棚を廊下に設けたのは無縁仏、三界万霊をまつるためです。先祖仏は仏壇にまつっているのです。

これが、『盂蘭盆経』にもとづく正しいお盆です。
(駒澤大学名誉教授)




常真寺 7月の

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【6月の法話】 ―――


※ 法話は『常真寺便り』(寺報)から転載しておりますが、6月25日発行予定の『常真寺便り』は7月1日発行に変更となりました。
その関係で、6月は法話の転載はありませんので、7月の法話をご覧ください。
今後も、発行日を毎月1日とさせていただきますのでご了承ください。




常真寺 6月の

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【5月の法話】 外なる世界と内なる世界  5月27日

常真寺 住職 【緑蔭禅の集い 主幹】
  皆川 廣義


私たち人間は、生物であり、そして動物であります。お釈迦さまの教えによりますと、生物は、生命を乗せる乗物であります。私たちは親よりいただいた生命を自分の身体に乗せて、次の新しい生物の乗物である子どもへと伝承させています。

生物には、私たちのような動物と草や木のような植物があります。動物は、自ら移動できますが、植物はできません。

私たち人間は、生物のなかで唯一心をもった動物であります。人間は、心をもった動物として、他の生物にできない豊かな文化をつくりだしました。そして、自ら万物のなかでもっともすぐれたもの(万物の霊長)と思っています。

しかし、生命の乗物としては、すべての生物が三十数億年生きてきたすぐれた乗物として同じ能力をもった存在であると思います。このことを仏教では四攝法の教えのなかで、同事として教えています。生命の乗物としてすべての生物、動物、人間が同事となるものであるというのが、お釈迦さまの菩提樹下の悟りなのです。また、今日の科学がそうであることを証明しています。

心をもった動物である人間は、自分の外の世界と自分の心のなかの世界をもつことができます。私たちはこの外なる世界と内なる世界を正しく認識できるようにしなければなりません。現代の日本人は、自分の外なる世界と内なる世界を明確に自覚できなくなってきているように思います。

人間以外の生物は、外と内が一体であります。それは心がないからであります。人間の外なる世界と内なる世界は、心があってもてるのです。心が中心となって、外なる世界と内なる世界をもつことができるのです。

人間が生物として心を中心とした存在であるのはその根底に生命があるからであります。したがって、人間にとって大切なものは心と生命であります。

お釈迦さまの教えにより、この地球上に生命が誕生してより自分まで、自分より子孫へ永遠に生きんとしている過去、現在、未来へと歩んでいる三世の生命を学びとり、地球上に生存したすべての生物をつくりだしている十方の生命を学びとり、人生の目的を悟り、死苦を解脱して安心を得ていきたいと思います。

私たち仏教徒は、外なる世界に生きていた身近な人の死に逢い、対話を喪失し、別離の悲しみに打ちひしがれます。この悲しみを通して、お釈迦さまの教えにもとづき、自分の生命と心のなかに、亡くなった方を仏として再生し、生涯供養することによって生きていただき、生前と同じように祈りを通した対話のなかに、悲しみをのり越え、悟りと安心をつくりだすのです。

この自分のなかに再生していただいた仏が内なる仏であり、それを先祖仏として、菩提寺や仏壇の位牌にまつったものものが外なる仏となります。私たち仏教徒は、この内なる仏と外なる仏との祈りを通しての対話により、悲しみをのり越え、幸せをさずかることができるのです。
(駒澤大学名誉教授)





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【3月の法話】 彼岸について  3月23日

常真寺 住職 【緑蔭禅の集い 主幹】  
皆川 廣義


三月には、春の彼岸があり、このたびは、彼岸についてのお話をいたします。

お釈迦さまは、私たちの生きている世界を、此岸(しがん)と彼岸(ひがん)の二つに分けて説いています。

此岸の世界は、ささやかな楽しみもありますが、さまざまな苦しみに打ちひしがれて生きている状態のことです。今どんなに物質的にも、精神的にも幸せでも、まもなく老いの苦しみ、病の苦痛、そして最後は死の恐怖に打ちのめされて死んでいく私たちの運命を此岸というのです。

お釈迦さまも、平和でめぐまれた環境のなかで幸せな生活をされていたのですが、身近にいる老人や病人や死に行く人々の苦しみをみていて、この此岸に老病死の苦しみがあることを悟られ、この苦しみを解脱して、安心を得なければならないと国王への道を捨てて宗教者(僧)となられたのです。

幸いにもお釈迦さまは、沙門として六年のきびしい修行の後に、ブッダガヤの大きな菩提樹下の悟りによって、老病死の苦しみを解脱して、人生の目的と安心を得る道を自覚せられたのです。

このお釈迦さまが悟られた安心と生きがいの世界を、彼岸というのです。彼岸は、仏国土とか浄土と呼んでいます。

私たち仏教徒は、生きるために、この此岸の世界と彼岸の世界の二つが必要なのです。

此岸は、人間として生きるためにどうしてもなくてはならないものです。しかし、此岸の世界だけでは、人生の目的を悟り、生死の苦悩を解脱して安心を得ることはできないので、仏教の彼岸の世界が必要となるのであります。

この此岸の凡夫としての世界に、彼岸の世界(安心と生きがいのある人生)をつくるために、お釈迦さまは、@三帰依、A六度の教えを示されています。

@三帰依とは、まず、仏教を学び、信仰し、実践する道場(寺・サンガ)に入り、お釈迦さまと、その教えと、お釈迦さまと教えを信仰する人々の集まりサンガの三つに帰依し、信仰することです。仏教で信仰するということは、自分の生命と心の中にお釈迦さまを再生させて、共に生き、信仰するのです。お釈迦さまが自分の生命と心の中に共に生きていれば、いつでも祈りを通して相談し、教えを聞くことができるようになり、悟りと安心をいただくことができるのです。

A六度とは、六つの悟りと安心を得るための行(実践)のことです。まず、悟り(智慧)を得るための行は、正しい生活をし(持戒)、お釈迦さまの教えを聞き(聞法精進)、学んだ教えを正しく理解し(禅定省察)、正しく自分の智慧としたものをサンガのメンバーに語ってみんなに理解していただき普遍的な智慧とする(菩提智慧)という四つの行です。

次に、安心の行は、菩提の原因である我執(煩悩)を捨てる忍辱と布施の二つの行です。忍辱は、一人で実践する行で、たえることで我執を捨て、布施は自分の大切なものを他者にもらっていただいて、共に我執を捨てて安心をつくりだす行です。

このサンガのなかにおける三帰依と六度の実践により、私たちの彼岸(安心)の世界が生まれるのです。
(駒澤大学名誉教授)






常真寺 3月の

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【4月の法話】 花 ま つ り  4月30日

常真寺 住職 【緑蔭禅の集い 主幹】
  皆川 廣義


花まつりは、仏教を開かれましたお釈迦さまの誕生を祝うおまつりです。

お釈迦さまは、約2500年前の4月8日にインドのルンビニーで、釈迦国王スッドーダナを父とし、母マーヤのもとに生まれました。

私は、40年前、最初のインド仏蹟巡礼でルンビニーにおまいりしました。オンボロバスで大変難儀してルンビニーにやっとの思いで到着し、そこでお釈迦さまの末裔だというネパール人の仏蹟巡礼の人々と逢いました。

そのネパール人達は、私たち日本人と同じような顔かたちをした、昔の久我の方々と同じような人々で、私たちと同じモンゴロイドでした。

彼等は、「自分たちはお釈迦さまの子孫で、仏教徒であり、カトマンズ盆地のパタンというところで農業をしており、米をつくって生計をたてている」と語っていました。

私は、このネパール人の仏蹟巡礼の人々に逢い、深い因縁を感じさせていただきました。

たぶん、今から数千年前に、モンゴル高原より南下して、中国の長江流域で、米をつくることを発見したモンゴロイドの人々が、東に移動して私たち日本人の先祖となり、西に移動した人々が釈迦国の人々だったのだと思いました。このことは、最近の仏教研究者によっても証明されています。

つまり、数千年さかのぼると、お釈迦さまと私たちの先祖は、同じモンゴロイドであったということです。私たちの生命のなかに、お釈迦さまと同じ生命が流れ生きているということです。

このことを私は、ルンビニーでネパールの仏蹟巡礼の人々と逢ったときに、しみじみと感じさせていただきました。

私たち日本の仏教徒は、同じ生命を共有したお釈迦さまの教えにより、幸いにも子孫繁栄して現在にいたっているのです。

お釈迦さまと私たちは、人種的には、モンゴロイドとして米作文化を共有し、同じ仏教という宗教を共有した深い因縁をもっているのです。

このような深い因縁をもったお釈迦さまが生まれた日が、4月8日でそれを祝うおまつりが花まつりです。寺では、4月5日より花御堂をつくり、4月25日まで皆さんにおまいりしていただいています。また、日曜礼拝と一泊参禅会でも、釈尊御誕生会法要を厳修しています。

ただ、昔のように花御堂へのおまいりの方が多くないのは残念です。来年はもっと多くの檀信徒の方におまいりいただき、釈尊誕生仏に甘茶をかけていただければと思います。寺でも、キリスト教のイエスの誕生日であるクリスマスのように、にぎやかなおまつりにしたいと努力していきます。

特に、子どもをさずかった方々は、その子の身心の健康成長を、お釈迦さまに祈念していただければと思います。

寺では、今年のインド仏蹟巡礼の折に、金剛製の釈迦誕生仏をルンビニーで求めて、開眼供養したものを花御堂にかざっています。
(駒澤大学名誉教授)




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喫茶去とは?

平成18年度の法話
3月 彼岸いついて  8月 正しいお盆 その二
4月 花まつり 9月 お彼岸の修行
5月 外なる世界と内なる世界 10月 仏祖会について
6月 −−− 11月 外なる仏と内なる仏
7月 正しいお盆 12月 菩提樹下の成道








             







































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































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